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雲南省昆明市の朱徳超さんの家族三名が全員不法に連行され、迫害された

(明慧日本) 2008年6月9日に「オリンピックトーチリレー」が雲南省昆明市にて行われた。中共関連の人員は早くも5月20日、現地の法輪功修煉者・朱徳超さんなど7名を不法に連行、自宅を掻き乱した。朱徳超さんは、夫・江昆さん(法輪功を修煉していない)、娘の江潤麟さんの家族三名と共に警官らに不法連行された。

 消息筋によると、朱徳超さん夫婦は不法にも五華区留置場に拘禁され、迫害を受けている。娘・江潤麟さんは今なお監禁場所が不明だが、彼女は絶食して迫害に抗議、危篤状態に陥っているという。

 朱徳超さん(52歳女性)は、四川省栄昌県出身。15歳の時、当時の辺境地区支援のため、雲南省紅河州建水県農村に派遣された。その後、県の人民銀行に採用され、同銀行の仕事に従事。80年代に再び県の工商銀行に転職した。幼いときから家を離れていたため苦しみを嘗めつくし、身体に多くの病気を患っていた。若い時から白髪がいっぱいだったが、1998年に、朱さんが法輪大法を修煉し始めてから、身体の病気が良くなった。

 1999年7月20日以降、迫害に直面しても朱徳超さんはずっと大法を堅持していた。

 朱徳超さんは2000年6月中旬に北京へ陳情に行き、天安門広場で大法の無実を訴えていた際、北京の悪らつな警官に連行された。家に帰った後、「三書」を書くのを拒絶したため、悪党に留置場まで連行され、1カ月以上の迫害を受けてから、家に戻った。その後、勤め先から談合退職することを強いられ、2000年に夫、娘と共に昆明へと引っ越した。その後も大法の修煉と真相の説明を堅持したが、娘まで悪らつな警官らに連行され、不法に家財を差し押さえられた。このため、しかたなく家を離れて四川省栄昌県の実家に戻った。

 2002年初め、建水県の「610弁公室」のボス・彭中発(すでに悪報に遭い、ガンで死亡)は、自ら数人の警官を率いて2千キロ離れた四川栄昌県に駆けつけ、朱徳超さんを連行した。また夜には栄昌を離れて雲南に奔(はし)り、直接朱徳超さんを昆明市の雲南省大板橋女子労働教養所に送り込んで、不法に労働教養2年を科した。朱徳超さんは入所時になって初めてこの事が通知されたが、その時、朱徳超さんはなにも持たず、着替えなどもなかった。

 釈放されてから朱徳超さんはずっと昆明市に住み、新たに修煉をし始めた。2008年5月20日に再び昆明市公安局の五華区支局の国保大隊長・練学騰らに不法に突入され、連行された。また不法にパソコン、プリンタ、印刷消耗品、大法書籍、真相資料なども奪われ、1万元の現金まで没収された。現在、不法に五華区留置場に監禁され、迫害を受けている。同日、夫・江昆さん、娘・江潤麟さんも不法に連行された。

 江潤麟さん(27歳女性)は、連行される前にある私営企業の会計事務の仕事に従事していた。1998年、母・朱徳超さんと共に大法を得て、法輪功を修煉し始めた。2000年7月、母は警察に不法に連行され、投獄されたが、彼女は北京へ陳情に行き、大法のためにぬれぎぬを晴らそうとした。ところが、北京で悪らつな警官らに連行され、建水県警察に不法に建水留置場まで移送、迫害を受けた。8月中旬、再び留置場から直接建水民兵基地の洗脳班に移送されて迫害を受け、9月中旬にやっと帰された。

 その後、彼女は両親と共に昆明へ引っ越し、2001年1月(旧正月の2日前)に街へ行って真相を説明した。このとき昆明市公安局五華区支局の悪らつな警官に連行されると共に家宅捜索を受け、大法書籍、パソコンなどを没収された。また、不法に労働教養処分2年を言い渡され、昆明雲南省女子労働教養所に監禁された。

 2008年5月20日、昆明市五華区公安支局に連行され、現在、監禁場所は確認できていない。ただ彼女は絶食によって迫害に抗議しているとの情報で、危篤状態に陥っているようだ。

 江昆さん(60歳男性)は台湾人である。妻と娘の迫害に反対したため、2008年5月20日、自宅を不法に掻き乱され、妻も連行された。その状況下で警察ともみ合い、共に連行され、不法に昆明市五華区留置場に監禁。迫害を受けている。当時、江さんはTシャツとショートパンツだけの格好で、ほかには何も持って行くことは許されなかった。消息筋によると、江昆さんは留置場の中で迫害により苦しめられて危険な状態に陥っているという。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2008年8月1日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/7/31/183126.html