■日本明慧 http://jp.minghui.org/2008/08/01/mh032098.html 



勝利油田中学校教師・韓慶坤さんは労働教養所で迫害されて死亡

(明慧日本)山東省勝利油田中学校の教師・韓慶坤さんは2006年末、北京で警察に強制連行され、不法な労働教養処分となった。河南許昌労働教養所で迫害され、気息奄々となり死に瀕していた。労働教養所は責任を負うことを恐れ、2006年旧正月の直前に家族に通知して迎えに来させた。

 家族は韓さんを見た時、彼のことを見分けることができなかった。髪やひげが薄灰色になり、腹部は膨大して、臀部の穴から血性の膿が出ていた。衣服もぼろぼろになり、すでに高熱で意識不明の状態だった。韓さんは2007年3月30日、冤罪を晴らせないままこの世を去った。まだ52歳だった。

 韓さんは2006年末、泊まったホテルで煉功した際に通報され、北京市宣武区の警察官に強制連行され、2年間の不法な労働教養処分を受けた。その後、河南許昌労働教養所に拘束され、2カ月の不法な拘束期間中に、残酷極まる非人道的な扱いを受けた。もともと健康だったが、虐待されてから肝硬変となり、腹水が溜まるようになった。それにもかかわらず、労働教養所は病状を家族に内緒にし、治療を受けさせず保釈しなかった。結局、危篤状態に陥った韓さんは2006年旧正月の直前、つまり2007年2月27日に家に戻ってから僅か1カ月後、冤罪を負ったままこの世を去った。

 2007年初め頃、三大隊で迫害を受けた法輪功修煉者が60人位いたが、その中で14人が北京から2回にわたり許昌に移送された。拘束された全ての法輪功修煉者は警察官にひどく蹴られたり、ゴム棒やナイロンの縄などで殴打されたりして、様々な迫害を受けた。また、一部の受刑者が、所謂「班長」に任命され、さらに木の棒や冷水などで気が狂ったかのように修煉者を虐待し、種々の陰険悪らつな手段を使い尽くした。一部の修煉者はこうした残虐極まる拷問に堪えられず、本心に逆らって「転向書」を書いてしまった。警察官は、彼らが後悔して「転向書」を無効にしないように、受刑者を幾つかのグループに分けて日夜監視した。教養所側はもし1人でもこうした問題を起すと、グループ全員を懲罰すると定めた。

 河南省許昌市第三労働教養所では、所長・イェン振業、副所長・姚松峰、姜清泰、「転向弁公室」の李新傑、三大隊隊長・師宝龍、一中隊・徐水旺、二中隊長・趙志民らが頭になり、共犯は都政濤、王徳民、チン偉山、孟廣路、張清善らの中共党員の連中である。彼らはここ数年、ずっと修煉者を迫害し、常に罵ったり殴打したり、随意に善良な修煉者を侮辱した。その上、かつらを製造する労働を強要し、毎日強引に13時間働かせ、またいつも2、3時間残業したため、拘束された修煉者らは毎日15時間の強制労働をさせられている。

 2008年8月1日
 
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/8/1/183188.html

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