日本明慧
■印刷版   

自分の不足を探し 人心を放下しましょう

(明慧日本)オリンピックが近づいて、中国各地で迫害が頻発しています、これは私達大法修煉者の一存一念および通常の行為と無関係ではないことは否定できません。

 中国国内で長期にわたって生活していると、なんとなく染められてたくさんの悪党文化を吸収してしまいました。人々はすでに悪党の押し付けた理論及び観念で物事を考えています。修煉者としては、党文化は要らず、悪党から押し付けられたすべてを消滅しなければならないことはわかっていますが、しかしいったん法を離れると、それがすぐに復活してしまうのです。例えば、当地の同修が不法に連行され、真相資料を取られたら、同修は直ぐにこう思ってしまうのです。「邪悪に証拠を掴まれた」。ある同修はまた、オリンピックが間もなく開催されるので、邪悪が「安定を守る」ため、きっと何らかの行動を採るだろうと思っています。ある人はさらにあちこちに身を隠し、拘禁された同修はオリンピックの後にようやく釈放されると思っています。同修達はみな救出することに動いていますが、しかし多数の同修に恐怖心が表れ、なんとなく常人の道理と考えに合わせる心が表れるのです。

 私達全体はすべて自分の不足を探し、人心を放下して、物質空間のこの世の仮想に迷わないようにすべきだと思います。私達は、反対の理の中を正しく歩み、苦しみと難関、トラブルをよい事にするように修煉すべきです。本当に苦しみを嘗める過程で無数の生まれ変わる度ごとの過去の業力を消滅することができ、難関とトラブルに直面して心性を高め、次元を突破すべきです。迫害されていない同修にとっては、すべて自分が本当に「無私無我」で、「彼の事は即ち私の事である」をやり遂げたか、やはり人心を用いて同修の漏れと執着を探しているかを考えるべきです。また、私達の一挙一動と細かい目つき、このすべてが普通の常人と修煉していない家族の人にとって大事な事だと同修達は考えていますか? 私達は普通常人に真相を語る時の語気、表情などのすべてが慈悲でかつ丁寧であるべきで、修煉していない家族の人に対して愛護と理解をしてあげるべきです。私達が本当にこのすべてをしっかりおこなってこそ、初めて認められ、そしてさらに多く有効に衆生を済度することができます。

 また、ある人はこういう話をしています。「買い物はなるべく少なくして、どっちみち使えなくなったら無駄です」。この話の意味は、オリンピックですべてが終わってしまう・・・。また偏屈に理解して、「中共に面目を施す機会を与えるかどうかはまだしらないと師父もそう言及しておられた」などなど。このような発言は一人ではないようです。私は、これは間違っていると思います。当時十六大のように、大法弟子は心が揺れて、執着した結果は悪い方になってしまいました。これに対して師父は「以前既に話しましたが、実は常人社会で起きた全ては今日においても、皆大法弟子の心によって促成されたのです。旧勢力が存在していますが、皆さんにその心がなければ、旧勢力も為す術はありません。正念が十分であれば、旧勢力もどうしようもありません」。(「各地説法2」『2002年の米国フィラデルフィア法会での説法』)

 最後の最後に来て、すべての同修がいつも法の上で考えて、常に正念で邪悪を消滅し、常に正念で衆生を済度することを期待しています。そして迫害はいつ終わるか、社会はどう変わるかを考えないことです、正法時期の大法弟子の責任は師について正法し、衆生を済度することだからです。もう一つは着実に自分を修めて、真に自分の思惟を神の念に変えることです。

 間違って悟ったところは、慈悲にてご叱正ください。

 2008年8月3日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/7/29/182987.html