日本明慧
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修煉の機縁を大切に


文/オラ(Ola)

(明慧日本)皆さんこんにちは、私はオラ(Ola)と言います。今年18歳です。今年の3月私は正式に大法を修煉し始めました。たったの3ヶ月ですが、変化は非常に大きものがありました。すでに転法輪を5通り読み、法に対する理解が向上し、自分がなんのために生きてるのかもわかり、人生の目的も知りました。

 個人修煉

 私たちの生命はさらに大きな意味があります。つまり修煉者としてはそれを大事にすべきだと言う事です。個人の修煉について私は法と命に対してより多くの理解を持つようになりました。全ての大きな飛躍は小さな進歩の一歩一歩をもとに出来ていると思います。最初私は試練に合うときいつも一足遅く、ただちにそれが試練があると認識できず、後になってそれが試練であったと認識していました。このようなことがよくありました。ここに座っている人もこのような経験があると思います。でも私は今小さいことから、例えば部屋を整理したり、宿題をする、ゴミをゴミ箱に捨てる、など非常に簡単に見えるようなことから実行するようにしています。小さいことでも非常に大きな意義があるように感じます。これらは私を修煉者として思い出させ、私がこの世で行うべきことを知らせてくれます。私にとって、もしくは他の修煉して間もない修煉者にも同じような経験があると思います。毎日学法煉功しないと、修煉者の考えと行動に逸脱が生じ、今いる次元から堕ちることになります。ですから学法は非常に大事だと思います。法を学ぶことで私たちは正しく歩む事ができます。

 初めて転法輪を呼んだとき、私は師父が高い次元の大覚者が苦を嘗めることは良いことである、たくさん嘗めれば嘗めるほど良いとおっしゃっています。これは非常に良いことです。苦を嘗めることは業を滅することであると思った私はそれ以降大きな変化がありました。庭で煉功するとき蚊に噛まれても我慢できるようになりました。

 座禅するとき、私は自分の業が滅され、同時に徳に転向されるのを感じました。座禅して足は痛みますが、高い次元に向かって向上していると思えば我慢できます。

 今年私は高校を卒業します。ノルウェーの毎年の高校卒業生は、5月1日から17日にかけていろいろな祝典、活動を行います。これは多くの人が十数年も待ち望んだ日なのです。祝典、活動の中で卒業生はビールを飲んだり、過激なことをしています。これはいずれも修煉者としてやってはいけないことです。活動の中で私は、祝典活動前にお酒をやめました。皆さんのために車を運転し、私の友人を送りました。多くの非理性的な行動を見て、私は人類の道徳が非常に危ないとこまで堕ちていると気づきました。多くの人がお酒を飲んで、ディスコで踊っているとき、私はいつも静かなとこで転法輪を読んでいました。私はいつも祝典活動に参加し、そこで忍を学びました。多くの人が参加する祝典の中で、私は常に自分は修煉者であり、常人ではないと自分に言い聞かせました。私の考えはもはや常人ではありません。修煉者は孤独なものです。たくさんのことを交流しようと思っても常人とは交流できません。ですから良い修煉の環境は非常に重要だと思います。

 修煉者が直面している執着心はことなる次元で現れます。螺旋状に上昇している状態を想像してみてください。絶えず同じような執着に出会い、ただそれは毎回よりその執着をはっきりと認識するのが難しくなり、取り除くのも難しくなります。私は自分自身を出しゃばる執着心があります。私は小さいときから強い体格で、高難度のジャンプができます。私がこれらのことをするのは、他人に私に注目してほしい、賞賛してほしい、と望んでいました。しかし修煉者としては望ましくないことです。今私は他人の前で高難度のジャンプをしないようにしているのは、私は自分を誇示する執着を放下しているように見えますが、しかし他人に注目してほしいという執着があります。友人と会話するとき、私は他の人とは違うように振る舞い、私は男の子であるが、いつも非常に成熟している大人のように振る舞っていました。これらの言動はいずれも自分の執着心の異なる次元において体現されたものです。私はまた同じ年齢の人といるとき、自分を修煉者と見なすことが難しいと感じました。 男の子たちが一緒に遊ぶときは、いつも自分がより出しゃばるように、自分が最も強いものである、凛々しいライオンのように、メスライオンの前で攻撃し合います。あるとき私は他の男の子の家で二人の男に会いました。一人は、銀行を勤めている親がおり、高度な教育を受けていました。もう一人の男の子は鍛冶屋の息子で、二人とも非常に賢かったです。私にいつも歴史を語ってくれ、いつも私に何かを教えてくれました。しかし話していくうちに、私を無視するようになり、お互いにどっちがより多くの知識を持っているか競い合うようになりました。彼らを見て、自分自身を誇示しようとしている彼らは、誰もが自分自身を誇示しようとしていることに気づいてないことに私は気づきました。常人はこれを当たり前だと思いますが、修煉者としてはこれを執着心と見なすべきです。

 真相を伝えること

 数ヶ月前、私は師父の経文の中で、大法弟子は真相を伝え、学法、煉功、さらに正念を発すべきだという説法を読みました。これはできる、と私は思いました。私は高校を卒業したので、多くの人と接触することができます。ある女のクラスメートからメールをもらいました。彼女は私が法輪功を修煉しているのを知っています。彼女は、宗教の先生が授業の中で法輪功について言及しました。誰か法輪功が中国で迫害を受けていることについて知っているかどうか聞かれたとき、誰も答えられませんでした。これは真相を伝えるべきだと思った私は、全てのクラスに真相を伝えるようにしました。私は何晩もかけて大法が迫害を受けている真相資料を揃え、宗教の先生に彼女のクラスで法輪功の真相を伝えていいか尋ねました。私が真相を伝えるとき全ての学生は目を大きく開いて真相を一生懸命聞いてました。皆私から法輪功についてより多くの情報を聞きたがってました。そこで私は皆さんに大法を紹介し、大法が私を助けてくれたと説明しました。多くの人が大法に興味を抱いたのを見て、私は転法輪を貸しました。本を借りた同級生たちは多少なりとも本を読んだので、自分の位置を正しく選択することができました。

 私は3つのクラスで真相を伝えました。最初は非常に遅かったので、次のクラスはちょうどテストをやってました。全てのクラスに真相を伝える予定はありませんでした。しかし私はある記者に会いました。彼女に自分のいる地区の新聞に真相の記事を出してもらえると聞きました。その後記事が掲載されました。この記事を見て、転法輪を読みたい、煉功がしたいと電話をかけてくる人がいました。私は、お父さん、他の同修と一緒に家の近くの公園で煉功しました。

 最後に、私は返本帰心を機会頂けることに感謝したいと思います。この限られた時間を大事にし、法を学び、最大限に努力して中国共産党の邪悪を暴き、衆生を救い再度します。修煉の道において常に前進するには法を学び、心性の問題を解決し、常に向上していかなければならないと思います。皆さんありがとうございました。

 (2008年北ヨーロッパ修煉体験交流会発表文)

 2008年8月4日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/7/18/182178.html