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重慶市:法輪功修煉者・セン蘭珍さんが迫害された事実

(明慧日本)重慶市の法輪功修煉者・セン蘭珍さんは1998年5月より法輪大法を修煉し始めた。修煉前、セン蘭珍さんは多くの持病を患って、気楽な日々などほとんどなかった。修煉後は心身ともにメリットを感じて、今までにないほど楽になった。しかし、彼女は法輪功を堅持することで、1999年より絶えず中国共産党から迫害を受け続けた。  

 1999年7月20日より、中国共産党は国家機関とメディアを総動員して「真・善・忍」を信じる人々に全面的な弾圧と誹謗中傷を開始した。  

 世間の人々に大法の真相を知らせるため、セン蘭珍さんは手紙を郵送した。このため、重慶市の大坪派出所の警官に不法に10日間拘留された。その後、彼女は勤務先から不法に除名(労働は1998年8月〜2001年8月の3年契約のはずだった)。セン蘭珍さんには、いかなる給料の補償もなく、彼女はついに失業したのである。  

 2000年11月26日、セン蘭珍さんは列車に乗って北京へ陳情し、大法を実証。大法のために無実を訴えた。しかし、セン蘭珍さんは重慶女子労働教養所に送られ、さらには非人道的かつ残虐な迫害を受けたのである。  労働教養所では、中国共産党の悪人はほとんど毎日彼女の両手に手錠をかけ、鉄製の寝台の上に固定していた。彼女は迫害に抗議するため絶食したが、野蛮にも無理やり灌食(かんじき)をされた。しかも、灌食用の器具を自らの金で買うよう強要され、同意も得ぬまま個人口座から現金を引き落とされた。悪らつな警官は受刑者を使い、各種の手段を尽くして迫害を行った。ある時、彼らはセン蘭珍さんの両手を手錠で24時間、鉄製の寝台の上に固定し続けた。眠る時は体をねじった状態で動かすことも出来ず、とてもつらかったという。残酷な迫害でセン蘭珍さんの健康な体は、まさに骨と皮を残すほどの状態になってしまった。数年来の迫害の中では、家族も彼女のために毎日びくびくするほどで、普通の生活をするにはほど遠いほど、非常に大きな圧力を感じていたのである。  

 2003年5月、中国共産党は重慶市である大会を開催、これを期に悪らつな警官らは再び彼女を洗脳班に不法連行して迫害しようとした。ところが、彼女と家族全員の抵抗もあり、彼らはしおしおと警察へ帰った。  

 2004年8月19日午前10時頃のこと。楊家坪・新華二村の民生委員会の悪人である、成伝盛に案内された重慶市九竜坡区の警官は、不法にセン蘭珍さんの家に突入した。悪らつな警官らは強盗と同様に大法の書籍を没収し、パソコン、プリンター、スキャナなども差し押さえた。不法連行後、セン蘭珍さんに2日間睡眠をとらせず、不法に拷問を行い、重慶市九竜坡区華岩留置場に8カ月あまり監禁し続けた。2005年9月23日、再び彼女を重慶茅家山女子労働教養所に不法移送し、引き続き迫害した。その迫害手段はきわめて残酷なものであった。  

 2006年3月23日、セン蘭珍さんの帰宅後、悪らつな警官と重慶市九竜坡区楊家坪役場は何度も彼女の家を引っかき回していた。このため彼女は言うに及ばず、夫にも非常に大きな精神的ダメージを与えた。夫はこのあまりにも強いプレッシャーに耐え切れず、彼女と離婚をした。もともと幸せな家庭が、このように中国共産党とその手先に離散させられたのである。  

 この9年間を経て、中国ではどれだけセン蘭珍さんのような家庭が散りじりになり、一家離散したのだろう? 善良な人々にこの邪悪な迫害に抗議するよう呼びかけたい。

 2008年8月7日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/8/3/183331.html