日本明慧
■印刷版   

大法小弟子の度量


文/陸明文

(明慧日本)ある都市の有名中学校では、外部から退職教師の宋先生を招いて、卒業を前にした学級に数学を教えている。当クラスの中に成績が良く品性もある生徒、張帆君がいた。宋先生は張帆君への「卒業の伝言」の中に、次のような言葉を残した、「損得を心に置かず、年少の人に度胸がある」。どのようなことが先生にこのような評価をさせたのでしょうか?次のストーリーを読まれればお分かりになるでしょう。

 去年のある中間テストの後、クラスの担任教師が試験結果を発表しましたが,張帆君の数学の成績が不合格と言った時、クラスの生徒は皆笑い、同時に全員の視線が一か所に集中されました。ずっと成績が優秀だった張帆君は、何事もないように落ち着いて座り、先ほど発表された「まずい」成績は自分とは無関係であるかのようでした。

 その後2日間、張帆君はずっと「まったく無関心」のようでした。生徒は平静なのに先生のほうが焦ってしまい、宋先生は張帆君を呼んで相談しようと思っていました。しかし、まだ話しかけるまえに、放課後、他の生徒達の見解を聞きました。すると「張帆の各科の成績はすべて優秀で、とても安定している、テストの成績はそこまでまずくないはず、多分採点ミスかもしれません」との答えでした。宋先生の心は少々動揺しました。テスト当日の午後、テストの採点が間もなく終わろうとしていた時、長年無沙汰をしている、ある親友が訪ねて来ました。2人は街へ行って会食しそして楽しさのあまり思う存分飲んでしまいました。その後自分は学校に帰り、残った数枚のテストを適当に採点しました。まさか……と宋先生は急に思い出し、直ちにテストの回答用紙を調べ、張帆の回答を見ると、6つの満点回答をすべて自分がゼロにしていたことに驚きました。

 宋先生は羞恥心でいっぱいでした。彼は張帆君を呼んで何度もわびて恥じ入りました。最後に張帆君に聴きました。「これほど大きい誤差の判定に対して、あなたは心ではきっと判っていたのではないですか。なぜ点数の審査(中国で自分の点数に対する採点の確認をすること)を要求しなかったの?」。

 張帆君は宋先生に教えました。「私は真、善、忍を修煉する大法小弟子です、私達の師父は弟子に心性を修め、名利を淡泊にし、人には善意を持つべきと教えています。宋先生はふだん真面目に仕事をしています、たまにミスがあって、自ら自分の過ちを咎める気持ちは理解します。私は学生として、把握すべき知識が判れば良いのであって、テストの誤判は私に何の影響もありません。かえって虚栄心を無くすよい機会を得ました。だから、時間をかけて審査する必要はありません。更に別の角度から見れば、もし私が公然と審査の要求を提出すると、いったん深刻な誤判が現れて、軽くても、先生の評判が落ちる。重ければ、学校側の規定によりもともと優秀な先生を解任するかもしれません。だから、更に審査を要求してはいけない事なのです」。

 この話は、宋先生を深く感心させ、すべてが心に刻みこまれました。宋先生は話の中から大法小弟子の高尚な精神と大きな度量を感じました。そこで、先生は別れの時、張帆君の記念手帳に自分の本音を書いたのです。

 2008年8月7日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/8/2/183286.html