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内モンゴル莫旗の法輪功修煉者・欧陽占東さんが迫害された経緯

(明慧日本)法輪功修煉者・欧陽占東さんは、内モンゴル呼盟莫旗の尼爾基鎮に住んでおり、両親は鄂倫春旗の大楊樹鎮に住んでいる。1999年中共政権が法輪功を迫害してから、欧陽占東さんは信念を堅持したため、何度も迫害された。2008年6月末、欧陽占東さんは河北保定の高陽県で真相資料を配ったため、河北保定市高陽県の警官に連行され、数日内に莫旗の「610」弁公室頭目の張世斌らに現地まで連行され、迫害された。

  張世斌は、かつて何度も人を連れて欧陽占東さんの家に行って不法捜査したり、捕まえたりした。ある日、強制連行されそうな中で、欧陽占東さんはやむなく2階から飛び降り、腿足、骨盤を骨折した。この後、入院治療中に、大楊樹中央街派出所の人民警察が欧陽さんに法輪功を中傷する番組を強制的に見させ、欧陽占東さんを「転向」させることを愚かにもたくらんで、信念を放棄させようとした。 

 2003年8月、張世斌は大楊樹鎮公安局と結託して、不法に欧陽さんの両親の家、おばの家、兄の家まで欧陽さんを捕まえに行ったため、仕方なく欧陽占東さんは路頭に迷うようになった。欧陽さんは家に帰ることができず、夫婦、子供と会うことができない。

 2004年、路頭に迷っていた期間、欧陽占東さんは山海関の長寿山、角山でスローガンを製作しているところを連行され、その後3年間、不法に労働教養され、チチハル市の双合労動教養所に不法拘禁された。2006年3月9日、沈陽蘇家屯の秘密収容所における生体臓器摘出という蛮行が暴露された後、各地の刑務所、労動教養所は法輪功修煉者を秘密に移送して、拘禁した。そのため、欧陽占東さんは綏化刑務所まで不法に移送され、刑期満了で莫旗の家に釈放した。

 家に帰った後でも、張世斌は欧陽さんに対する迫害を続け、欧陽さんに対して監視居住を実施した。3年間両親と会っていないため、欧陽さんは大楊樹鎮に行って両親に会うことを求めたが、張世斌は会うことを許さなかった。その後、欧陽さんの兄を通じて保証人を立てて、やっと両親に会うことができた。欧陽さんが両親の家にいた時に、張世斌はいつも欧陽さんの両親の家に電話をかけて、嫌がらせをし、監視した。息子が長期にわたり迫害されているため、欧陽さんの両親は精神的に大きな打撃を受け、最後に父親は半身不随となり、ベッドで寝こんでしまい、一旦息子に言及する時と、老人はぽろぽろと老いた目から涙を流した。

 2008年2月末、張世斌はいつも欧陽占東さんの高齢の両親を混乱させ、恐喝し、両親に息子を出すように強いた。張世斌は、欧陽占東さんから彼に電話をかけさせれば、それで問題は解決すると2人の老人をだました。老人は本当だと信じて、欧陽さんに彼に電話をかけさせた。なんと、張世斌は欧陽さんの住所を確定した後で、河北保定まで追い回し、欧陽占東さんを迫害した。欧陽占東さんは年老いた両親の安否をとても気にかけているが、家の中の電話が盗聴されることを心配し、親に電話をかけて慰めることもできない。

 長期にわたる恐怖と憂慮の中、欧陽さんの父親は、今年の5月に重病で入院した。彼は手術の後、まだ意識が回復しておらず、自分の息子の欧陽占東さんのことをぶつぶつ話し、自分の息子がくれぐれも悪人に捕まえられないよう、刑務所に入れられないよう心配している。夫婦は息子の迫害の話をすると互いに抱擁して大声で泣いてしまう。欧陽さんはまた、張世斌に不法に指名手配された。

 2008年6月30日、欧陽占東さんは河北保定の高陽県に行って資料を配り、真相を伝えたため、河北保定市高陽県の警官に連行された、数日の内に張世斌などに現地まで連行されて迫害された。欧陽占東さんの妻も法輪功修煉者で、張世斌は過去何度も彼女を迫害したことがあり、現在、彼女はすでに職場を離れて家にいるため収入がない生活を強いられている。 

 2008年8月7日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/8/3/183249.html