日本明慧
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色欲の表れについて


文/大陸の大法弟子・秀

(明慧日本)私は若い女性の大法弟子ですが、修煉後に表面上の変化がとても大きく、見た目が以前よりきれいになりました。毎朝、鏡を見ては髪を梳き、自然に自己満足げに「鑑賞」してしまいます。しかし最近やっと、これがもうすでに色欲の心になってしまっていると意識しました。

 自分がきれいになったと感じ、回りからの称賛の声も多くなりました。時には外で若い男性と接触する際、なんとなく怪しく感じます。何も常識を越えた行為はないのですが、しかしなんとなく回りによくない場があって、相手が自分に対し「感情」的な関心を持っているような気がして、私もずっとそれに耐えられない状態です。それでやっとこれが色欲の表れの一つだと気付きました。

 内に向かって探したら、これが執着心であったと分かりました。私は中学生の時、家族について偽の気功を習いました。結局体は駄目になり、太って成績も中位で目立たないため、綺麗な女子学生達が大変うらやましく、あまり成績が良くなくても、先生や学友はみなきれいな彼女たちが好きなようで、彼女たちにはとてもやさしかったのです。対照的に自分はとても卑屈で、いつか自分も同じようにきれいになりたいと望み、これが意外にも私の人生で求める目標になりました。

 それからは美しい男女のスターの写真が見たくなり、次第にきれいな人を見たがる色欲の心が芽生えて、強烈な執着になりました。大法を修煉した後に、たくさんの執着心を無くしましたが、しかしこの洒落る心を軽視し、かえってそれを膨張させました。自分がきれいになったのを見ても、これは師父が私の本体を変えてくださって、私の修煉の為に与えた事だとは思いませんでした。以前の故郷のこともそうでした。当時色欲の心を無くしていなかったせいで、たくさんの同級生が私に対して愛慕の念を表しました。私は内に向かって探していなかったので、普通の常人の観念を持って認識し、私もやっときれいになった、自分がきれいなる願望も達したと浮き浮きしていました。最後に私は自己を実証する心を無くしていないため迫害され、しかたなく家を離れました。

 私は内に向かって探し始め、どうして私は自分のことを見て綺麗だと自己満足しているのか?(実は私の顔つきは普通で、自分で綺麗だと思うだけ)自分が綺麗だから皆に好かれて、多くの事がし易くなる(人は初対面で往々にして顔で判断するから)。これが私の利を求める心を満足させます。また私に対して好感を持つ男性がいて、私の虚栄心を満足させました。他人も私が美しいと褒めて、私の名を求める心を満足させました。長々と話してずばり人間の幸せを求める根本的な執着心を無くしていません。それによって名利情が生まれて、自分が三つの事をするのを邪魔しています。

 他の一部の若い弟子もこのような事に出会っていると聞きました。たとえば若い女性の弟子に、周りのたくさんの男性が好感を表しており、本人はとてもわずらわしがっていますが、この人を拒否したらあの人が来て、あるいは若い男性の弟子に、誰かが彼のことを好きだと表すこと等があります。しかしいつもこの人の関心を婉曲に拒否したらあの人の好感がでて繰り返します。私は自分の事を書きだして、同修たちと共に向上できるよう望みます。妥当でないところはご指摘ください。

 2008年8月10日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/8/5/183405.html