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美に対する執着を取り除こう


文/台湾の大法弟子

(明慧日本)私は若い女性大法弟子です。修煉前から、「美」に対して非常に気にして、きれいな人が好きで、きれいなものが好きでした。常に自分は品位があって、特に美に対して観賞するセンスもあると思っていました。特に、師父も、女性がきれい好きなのは執着ではないと説法されたこともあり、この美にこだわる心はたいしたことではなく、その他の執着心を取り除こうとしていました。今になって、私は当時の考えは、その当時からして間違ってはいませんが、法理は高くなるにつれて要求も高くなっているので、それぞれの次元の修煉者に対して要求も異なっていると気づきました。

 法を正す最後の時期になって、私はこの美に執着する心、自分を愛するナルシズムも取り除くべきであると思いました。なぜなら、それは私の体現であり、私はこの美にこだわる執着の中に陥ったとき、自分自身の慈悲の力が弱くなってしまいました。なぜなら、大部分の時間や気力を自分自身にかけているので、他人に対して善の念が生じてきません。衆生を救い済度する効果もそれによって影響を受けます。例を挙げましょう。この執着心が非常に強い時、私と同じぐらいの年齢で、私よりもきれいな女性を見ると、私はただちに嫉妬してしまい、自分より美しくなければもったいないという感情が出てきます。そうなった時に、これらの衆生に慈悲を持つ必要はないと思ってしまい、常に自分自身を考えていました。

 私は、師父はかつて、常に慈悲の心を保ち、落ち着いた心構えを保つように、という法理は非常に深いものだと思っていました。それまで、私は非常に難しく、学法をして、煉功をして、発正念して初めて慈悲を体現できる状態で、ふだんは全くできませんでした。しかし、今となっては、学法・煉功のほか、自分自身に対して厳格に求め、刻一刻と衆生を救い済度することを生活の中に取り込むべきです。なぜならば、慈悲とは、神の栄光な状態だからです。

 きのう、ある同修が色欲を取り除くことについて書いた文章を読み、最近、自分も同様な状態に陥り、しょっちゅう知らない男性が自分のところにやって来て、心が落ち着かない状態でした。これも、自分の執着心によって引き起こされた状態です。修煉をしてから、私は換骨奪胎をしたかのように、これも衆生を救い済度し、真相を伝える絶好のチャンスなので、私はいつも人々の前で大法のすばらしさを説明するとき、慈悲の力が足りないと感じていました。今から思えば、自慢の心があって、自分がきれいだという考えがあり、心が純粋ではなかったと思います。本当に衆生のために何かをする時に、初めて神の状態になれます。

 古人は、外見とは色気であると言ったことがあります。多少は道理があると思います。私達がこの色気のために人間社会で迷っているとき、少なくともこの点において私達は落ちています。世界の大法弟子は最後の最後になって、人を救い済度することに全力を尽くし、善の力を全身に満たすようにしましょう。

 2008年8月11日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/8/8/183606.html