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色欲の執着を見分け、徹底的に根絶しよう


文/小鳳

(明慧日本)「万悪は淫を首と為す(訳者注:中国古来より伝わる戒め。「全ての悪は、淫欲から始まる」の意)」。修煉はまず色欲を取り除くべきだと思います。正法の最後の段階まできて、色欲を徹底的に根絶しなければなりません。そのためにも、色欲がどんなものかを、まず認識する必要があると思います。

 神が人体を造った視点から見る場合

 最後の正法の時に使うために、神は自分の形を真似て三界で人体を造りました。最後の正法の時期に、ここで法を聞いて修煉するのは神の形をする生命体でなければならず、そうでなければ大法に対する最大の不敬なのです。もし私達が、神の形をする人体をもって不潔な事を働くならば、それは何より神を侮辱することになるのではありませんか。同じ理で、私達人間は悪い事をしたら、どんな悪い事でも、神の形をする人体をもちながら悪い事を働くこと自体が一種の罪だと言えます。

 神が人間に夫婦の性生活を安排した目的から見る場合

 多くの同修は、夫婦間の性生活は天地の間に必要で、正当で、当たり前の行為だと思って、現代人の変異した観念を放下しません。『転法輪』では確かに夫婦間の性生活は必要なものだと言っていますが、この「必要」の前提は子孫を存続させるためです。多くの同修は「夫婦」の二文字だけに目を凝らして、性行為は夫婦でない二人の間で発生すれば悪いもので、夫婦の間で発生すれば正しいものだと理解しています。私の理解では、当たり前に正当な性行為といえるのは、夫婦の間で発生し、しかも子孫存続のためという2つの条件を同時に満たすものでないといけません。さもないと人間としての規則に違反することになります。師父の説法に、神は人間の家を守るために犬を造ったのですが、人間は犬を友達か子供のように扱ってしまい、これは大法を破壊する行為だと言及しました。間違った犬の扱い方さえ大法を破壊する行為になるのに対して、夫婦の性生活を濫用するのはなおさら悪いことではありませんか。

 共産党の邪霊から見る場合

 共産党は人類の道徳を破滅するための存在だと皆が分かっているでしょう。共産党が人類の道徳を破滅させる道具の中で、最も有力なのは「色欲」です。色欲を取り除かなければ、欲望の問題だけでなく、我々自身も共産党の一部になってしまいます。私達は毎日のように共産党の邪霊を解体して、党文化を捨てると言っていますが、色欲は邪霊そのものです。それを私達の空間場に存在させてもいいのですか。「聖書・啓示録」第17節はテーマを「大淫婦」にして、この節で中国共産党を大淫婦に例えています。この点からも、色欲は共産党の邪霊を構成した一部分だと分かります。

 功の角度から見る場合

 夫婦の間でもたとえこのような性行為をした場合、自身が対応する空間場に次元が低くて醜い、非常に不潔な命が充満している、あるいは自分の空間場にいる衆生に恐ろしい変化が起ったたくさんの光景を、功能を持つ同修が見ていました。他の空間が見えない同修でも、性行為をしてからこの空間の肉体に苦痛の状態が現れたりします。実は、この誤った行為のために対価を払うのは別の空間で、我々人間の空間で感じた苦痛はほんの少しに過ぎません。 

 人間の視点から見る場合

 夫婦関係は情ではなく、恩と義で維持されるべきと、師父は我々に教えられました。現代人の変異した考え方では、夫婦の間に情だけではまだ足りなくて、必ず性生活がなくてはならない、更に性生活は夫婦の間の最も重要な部分だと見なしています。夫婦間の性生活の問題さえ離婚の正当な理由になります。かつて読んだ常人の文章に、「水滸伝」で有名な淫婦・潘金蓮を改めて評価し、夫と家柄・身分が釣合わず、夫婦生活が調和しないために西門慶と不倫した彼女を新しい女性解放の手本として再認識すべきだと書かれていました。色欲は常人の社会と文化をどこまで破壊したかがこれでも分かるでしょう。もしもこの面(性生活)がよくなければ、夫婦関係も解消すべきかのようです。夫婦の片方が常人で片方が大法弟子の場合、大法弟子の方はこの話題をもって常人の相手に本当の夫婦とは何かを教え、彼(もしくは彼女)が持つ変異した観念を解体させることができると、私は思います。そして正念をもって自分自身を修め、相手を抑制します。

 修煉の次元から見る場合

 色欲は修煉の道を歩み出して最初にぶつかる難関です。どうしてこの問題は最初の関所となるのでしょうか。どうして過去の修煉及び古い宇宙の神は色欲をこれほど重要視しているのでしょうか。私の理解では、修煉の次元の角度から見ると、過去の修煉者は低い次元から高い次元へと修煉して、最も表の次元から徐々にミクロの次元へと変化します。つまり、色欲はあまりにも低すぎる物質なので、私達現在の肉体が存在しているこの空間にしか存在できず、ほんの少しだけ高い空間にはいられません。私達は、現在の肉体が存在している空間より無数に高い空間を目指して修煉していくので、もしこの第1歩の第1歩を乗り越えられないと、先の道へどのように邁進するのですか。もちろん、今日の修煉はミクロの次元から表の次元まで一層、一層修煉していますが、これで神経を緩めるわけにはいかず、逆にもっと認識をはっきりさせないといけません。かつての小道修煉者でさえ色欲の問題を重んじており、我々大法弟子は、このことで大法に決して泥を塗るようなことをしてはなりません。

 個人が悟った少しのことなので、適切でないところは同修の慈悲なるご叱正を願います。

 2008年8月18日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/8/4/183355.html