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ハルピン市:趙国華さん親子が警官から受けた迫害状況(写真)

(明慧日本)2008年8月10日、黒竜江省ハルピン市道外区大方里住宅地に住んでいた趙国華さん、趙広興さん親子は、警官に何度も私生活を侵害され、家財も不法に没収された。そして強制連行されて迫害を受けた。2007年7月中旬、中国共産党政権の警官は、趙広興さんを再び連行し、強制的に労働教養所に収容した。そして、趙広興さんの母親・国華さんも、地元の老人専用のマンションに強制入居させられ、そこで迫害された趙国華さんは、半月後に亡くなってしまった。

趙国華、趙広興親子
趙国華さん

 趙国華さん(86)は、1995年に法輪大法の修煉を始めた。修煉を始める以前には骨が増殖し、リウマチなどの病気にかかっていた。趙国華さんは、法輪大法の修煉を始めると共に道徳が向上し、見た目も若くなり、すべての疾病も完治した。そして長く歩いても疲れないほど健康になった。趙国華さんは「これは法輪大法を修煉したおかげだ」と、心から感謝していた。

 1999年7.20、悪らつな中国共産党政権が法輪大法の迫害を開始した。当時78歳であった国華さんは、法輪大法が無実の罪を着せられたことに対して、法輪大法の素晴らしさを人々に伝えなければならないと思っていた。国華さんは、息子の広興さんと一緒に黒竜江省役所に法輪功の真相を伝えに行ったが、警官に不法に拘束された。

 2000年12月中旬、趙国華さんと、趙広興さん親子2人は北京に陳情しに行った。天安門広場の金水橋の上に「法輪大法は素晴らしい」という横断幕をかけた。当時、5、6人の警官が来て、横断幕は奪われ、母親の国華さんは、転んで橋側の鉄製のチェーンに頭をぶつけたため腫れ上がった。2人は朝陽公安局に拘束されたが、母親は当日釈放されたために、北京の同修の助けにより実家に戻った。息子の広興さんは、ハルピン鉄道収容所に3カ月間収容された。

 実家に戻った国華さんは、重傷の状態で苦しみながら生活していた。2001年7月5日、道外大方里交番指導員、道外公安分局の石樹林警官は、数人の警官達を引き連れてやって来て趙広興さんを強制連行し、不法に1年間収容した。ショックを受けた国華さんは、寝たきり状態になってしまった。親族は、メイドを雇って国華さんを介護していた。広興さんは、2002年7月に労働教養所から釈放されたが、母親はまだ重態のままであった。

 2003年4月、趙広興さんは再び鉄道公安関係の数人の私服警官達に、実家から強制連行された。これ以前から、警官は何度も趙さん親子の私生活を侵害していた。息子が再び連行されたことにひどく衝撃を受けた国華さんは、体調がさらに悪化した。

 2007年7月3日、道外区大方里交番警官・李樹君など4人は、趙広興さんを強制連行しようとしたが、広興さんは「法輪大法は素晴らしい」と叫びながら警官の行為に抵抗した。警官は、住宅団地の主任や、警備員などを呼んで広興さんを強制連行し、1年の不法収容を言い渡した。悪らつな中国共産党の警官達は、86歳の高齢の母親がいることも無視して、再び広興さんを強制的に拘束したのである。母親を地元の老人専用のマンションに強制入居させた。そこで面倒を見てくれる人もいなかった国華さんは、十数日後に他界した。

 2008年8月19日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/8/10/183792.html