日本明慧
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睡眠の欲を取り除き、さらに精進する

(明慧ネット)師父は『2003年アトランタ法会での説法』で次のように説かれています。「現在の一分一秒も非常に大事であり、この間の時間を逃してしまったら、全てとすれ違ってしまいます。歴史は二度とやってくることはありません。宇宙の歴史、三界の歴史が既にそれほど長い、久しい歳月を歩んできましたが、衆生は皆何を待っているのでしょうか? 何のためにここで生きているのでしょうか? 他でもなくこの数年を待っているのです! しかし、この数年の間、生命を無駄にしており、時間を大切にしていない学習者がいます。けれども、あなたは衆生と歴史に対して大きな責任を持っています!」。

 長い間、法の勉強と3つのことを理由に、私は煉功を疎かにしていました。師父の説法を自分なりに解釈して口実にしながら、1日の睡眠時間が8時間にも及んでいました。このような宇宙の衆生を済度する重要な時に、これは衆生そして自分に対して無責任な行為であり、間違いなく衆生そして自分を壊滅させる行為なのです。

 ある日明慧ネットで同修の交流文章を読みました。その同修は毎日2時間しか寝ておらず、それでも衆生を済度するのに時間が足りないと書かれていました。それを読んだ私はいきなり目が覚めました。どうして人にはできるのに、自分にできないのでしょうか? 母と交流したら、真っ先に煉功が追い付いていないこと、体に十分な演化がなされていないのでは、と指摘してくれました。

 その後の学法ではまた師父の説法を拝読しました。『スイス法会での説法』ではある弟子が、「次元が高ければ高いほど、睡眠時間が少なくなるのでしょうか?」と質問を出したところ、師父が「それは違います。このような情況はあなたの思想の粒子の変化と向上と関係していますが、しかし段階性のあるものです。先ほど説いた問題もこの中に含まれています。修煉してよくできた部分は隔離されると、あなたの表面は正常になり、圓満成就までずっとこのような状態が伴っています。これであなたが常人と同じように生活することができます。しかし、人間としての一面はますます弱まり、その上自分に対して厳しく要求すれば、常人の中での現れがますますよくなるかもしれません。こういうことです」と説かれました。

 以降の数日間、私は師父の説法を理解しようとしていました。「思想の粒子の変化と向上と関係している」とはどういうことでしょうか? 確かに「毎日8時間の睡眠が必要」という常人の思いが根強く頭にあります。それがわかって、その執着を放下できたつもりでも、煉功は良い状態で行うことができません。また我に返って考えると、煉功を行うときはやはり雑念、妄念が多いのではありませんか? これでは師父が要求される「身神合一」と程遠いのではありませんか? とにかく煉功していればよいと思っていて、頭の中ではいろいろな雑念が暴走する状態なのです。師父は『ヒューストン法会での説法』では下記のように説かれています。「功は法であり、法は功でもあり、精神はそれ自身が物質です」。私たちが法を勉強するときも同じですが、頭一杯に雑念、妄念がある状態では、どうやって法の勉強ができるでしょうか? どうして法がその奥義を私たちに示すでしょうか? 私たちはどうやって向上するのでしょうか? 動作は音楽と師父の号令に従い、毎回の煉功に「身神合一」で自分を律し、雑念を排除して集中すべきではありませんか? こうして2日経ったらなんと! 煉功状態がすっかりよくなりました。

 この過程でもう一つ気づいたことは、睡眠も一種の欲望で、一種の執着です。それは寝ることで人間が肉体のリラックスを実現できるほか、世間の悩みも忘れられるからでしょう。しかしながら、人の惰性(大法弟子としては魔性ですが)が優位に立つと、私たちそして衆生を破滅させることになります。私たちは偉大で嘗て無い歴史的瞬間におり、自らの大願を実現しないとどれだけの悔いとなるでしょう。

 最近自分の煉功時間を下記のように再アレンジしました。朝4:50〜5:50に動功、5:55から15分間発正念して起床します。夜10:50〜11:50に静功、11:55から15分間発正念して寝ます。毎日の睡眠時間は約4時間ですが、日中の状態も健康状態もとてもよいのです。これでもさらによく行わないといけません。古来にない貴重な機会、この一分一秒を大切にし、師父から私たちに授けられた正法時期の大法弟子という名誉を裏切らないよう、さらに多くの時間と精力を、法を実証することと衆生を救い済度することに使い、三つのことを成し遂げましょう。

 2008年8月22日


(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/8/15/184111.html