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黒龍江省:鶴崗市の呉美艶さんは迫害され死亡

(明慧日本)「オリンピック」のために、黒竜江省鶴崗市の中国共産党悪党政府は、警察を操って更に大規模な迫害を開始した。この9年間所持しているリストによって、1人ずつ掻き乱し、恐喝し、連行することもあった。2008年8月19日、法輪功修煉者・呉美艶さんは、長期の監禁迫害により冤罪が晴れないまま亡くなった。彼女の76歳になる母親は依然として監禁されており、夫は、不法に佳木斯刑務所に監禁されてすでに7年にも及んでいるが、妻がすでに亡くなっていることさえ知らないのである。

呉美艶さんの迫害前の写真 

呉美艶さんの迫害後の写真

 呉美艶さんは、かつて黒竜江省女子刑務所で3年間迫害されており、入獄前には65キロあった体重が、今では50キロ足らずまでに落ち、呼吸が困難となり痩せこけてしまった。家族が彼女を病院に送り健康診断した結果、片方の肺だけしか残っておらず、さらに2つの穴があいている。医学知識が有る人なら、皆この状態がどれだけ長い時間、大きな苦痛に耐えたことかが分かるはずです。黒竜江省女子刑務所は、彼女に対して診療もせず、早めに釈放もせず、刑期が満期になり本人もだめになったために、やっと釈放した。当時方々の病院が、呉美艶さんを診たがすべての病院が受け入れてくれず、「もうこのようになったのでは入院しても無駄だよ、帰ったほうがいいでしょう」と言った。

 呉美艶さんは鶴崗市十三工場の資料室の管理人だった。当時呉美艶さんは、口内潰瘍、口腔癌を患っていたが、幸運にも法輪功と巡りあえ『転法輪』の本をまだ読み終わらない内に、口内潰爛が奇跡的に治った。大法の不思議な効果に彼女は大喜びし、そして煉功場に行き、法輪大法修煉の道を歩んだ。 

 法輪功を修煉してから、呉美艶さんは身体がよくなっただけではなく、勤め先や、家庭でも大法の標準に従って自分を律したため、十三工場では何度も模範労働者、先進工作者などに選ばれ、隣近所の評判もとても良かった。

 1999年7月20日より、中国共産党は全国的に大規模な弾圧を開始したため、無数の無辜なよい人が迫害され、多くの幸せな家庭が一家離散し肉親を失うことになった。2000年2月5日〜2000年9月11日まで、呉美艶さんは不法に鶴崗市第1留置場に拘禁された。 

 2002年4月21日、呉美艶さんは再度不法に連行され、鶴崗市第二留置場で迫害された。5月のある日、鶴崗市第二留置場の悪辣な警官らは長さ80センチメートルの鉄棒を持って来て、50人ぐらいの女性法輪功修煉者たちをこの棒に固定した。具体的には、両手を分けてそれぞれを足首に手錠ではめ込み、そのまま一本の棒で支える。人は立つ事も伏せることも出来ず、2足分けたままで我慢するしかない。留置場の中では受刑者がこの50人を監視した。第二留置場はすべて男性の警官であり、その棒で固定したら最後、食事、排泄に関わらず、全く解放しない。大小便の時も、生理の時も他人にして貰わなければならない、何人かの尻がすでに潰瘍になり、深刻なものは臀部に3箇所の大きな潰瘍ができ血膿まみれだった。呉美艶さんは解放された時、頭がぼんやりとしており臀部にはずっと傷跡が残っていた。 

 2002年、呉美艶さんの夫(法輪功修煉者)は、法輪功の真相を割り込んで放送したため、悪党に不法に9年の懲役刑を言い渡され、呉美艶さんは3年の判決を下された。夫は佳木斯刑務所に拘禁され、呉美艶さんは黒竜江省女子刑務所に監禁された。 

 呉美艶さんは、3年間ハルピン女子刑務所の中で、非人道な苦しみを嘗め尽くし、法輪功修煉者が耐えた精神と肉体の蹂躙は他の人には想像もつかない程である。2003年9月、8管区の法輪功修煉者たちは、集団煉功をして迫害に抗議したため、ベッドの横に縛られ、地上に座るよう強いられた。凶辣警官・張春華は、率先してハイヒールを履いたまま顔を蹴り始め、足を踏んだり、全身を蹴ったりした。悪人らは法輪功修煉者たちを、男性受刑者寮の前の空き地に騙して呼びだし、40人あまりの警察と受刑者たちは、それぞれ警棒、スタンガン、手錠、木の棒、竹の棒、プラスチック管などを持って輪になり、法輪功修煉者たちを輪の中で走らせた。誰かの前に着いたら誰かが振る、遅くなった人は多く殴られる。年令や健康情況に関わらず、すべて殴られた。 

 2004年3月10日、法輪功修煉者が囚人服を着ず独房の監禁に抗議したため、悪人の張春華は労働現場より20人余りの受刑者を呼んできた。受刑者の宋麗波(サービス管区)、趙艶華、劉麗(出監した)、朱玉紅(出獄した)らが率先して法輪功修煉者の上着、ブラジャーをすっかり脱がせ、ハッハッと大笑いした。当時侮辱された法輪功修煉者たちは、呉美艶さん、倪淑芳さん、周春芝さん、高秀芳さん、馬淑華さんなど20人がいた。女性監獄は医療の手段を利用して野蛮に灌食を通じて迫害をする、呉美艶さんは管を胃に挿入されて出血したため、咳をする度に出血し、骨と皮ばかりに痩せこけてしまった。 

 異郷にいる妹は、お姉さんの境遇を知って急いで家に帰り、気息奄々状態の姉を自分の家に迎えた。妹さんは「姉の口腔癌は法輪功を修煉して治ったのだから、姉はきっとよくなるよ」と言った。8カ月後、呉美艶さんは本当によくなり、体重も50キロ以上に戻り、精神状態も回復し鶴崗まで帰った。 

 オリンピックのために、悪党はメンツのことばかりを考えており、鶴崗の警察はさらなる迫害を起こし、リストに載っているすべての法輪功修煉者たちに対して絶えず掻き乱し、恐喝し、さらに誘拐した。呉美艶さんもこの被害者の1人であり、76歳の母親も不法に家宅捜査をうけて連行され、今なお釈放されていない。

 呉美艶さん自身は、かき乱されて恐喝された後、精神に異常をきたした。夫は長期に亘って不法に拘禁され、母親も連行されたため、経済、生活、精神的なプレシャーの下、再び危篤状態に陥り、入院して救急手当を受けたが効果がなく、2008年8月19日、冤罪が晴れないまま亡くなった。 

 1999年4月25日後、7月20日の大規模な迫害開始より前、黒竜江省各地は大規模な集団煉功を制限した段階で、鶴崗地区の悪党政府人員たちはすでに煉功場所の法輪功修煉者を高圧ホースで駆逐した。7月20日後、迫害は一層残忍になった。2002年5月20日、真相を割り込み放送したため、鶴崗の悪党政府人員たちは綿密な逮捕を開始し、当時リストに載っていたほとんどの法輪功修煉者たちは、家宅捜査をうけ連行された。その数は600人あまりに及んだ。悪党は裁判所を操って30人を起訴し、その内の10数人の法輪功修煉者に不法な判決を言い渡した。現在、また数十人の法輪功修煉者たちが連行されており、6、70歳以上の高齢の法輪功修煉者が10数人いる。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2008年8月25日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/8/24/184650.html