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文章を発表するときは必ず理性をもとう

(明慧日本)2008年8月19日、明慧ネットでは「海外の同修と一緒に修煉における問題について交流する」という文章を読みました。非常に分かりやすく、正しい交流文で、非常に重要な問題について触れました。というのは、たくさんの大法弟子が常人に真相を伝えるときや文章をかくときに、しょっちゅう予言や手相、占いなどの非自然的現象をもって説得しようとしますが、かえって効果は良くありません。えてして常人が理解できないような悪影響をもたらしかねません。

 少し前に、あるサイトで一つの文章を見ました。ある評論家の書いた文章です。このような文章は、必ず真相を伝えるために使うことはない、ということです。今の中国はほとんどが無神論者であり、私たちが国際社会の問題、国際情勢、歴史の要素、迫害の事実、大法のすばらしさなどの真相を伝えるとき、効果は非常に良かったのですが、さきほど話した予言や占いなどをもって話すと、かえって常人に理解されず、まじめに対応してくれません。

 『九評』を見てみましょう。『九評』には少しも、このような超自然的な非自然科学の分野はなく、占いや手相などの話は一切ありません。常に歴史的事実を陳述し、冷静な態度に基づいて出された結論は非常に説得力があります。

 さらに、神韻芸術団の演出を見てみましょう。優雅で高尚な神の美を帯びたそれらの公演は、完全に観客のさまざまな観念を溶かすことができ、残されたのは神に対する感動および修煉者に対する尊敬しかありません。

 ここで非難しているのではなく、ただ同修に対する善意のアドバイスにすぎません。私は、よく占いや神などの超自然的な現象をテーマに評論文を書く筆者の関連文章を探してみました。特に、人名と漢字の間にある関係性を分析して何か結論を出そうとしていることは、非常に信憑性に欠けると同時に、顕示心が見られます。

 この文章の筆者が海外にいるかどうかは分かりませんが、問題は同じです。この文章を読む学習者もいますが、ちょうど今回、オリンピック開催前に、たくさんの学習者が正しい心構えがなかったことに加えて、このような文章を見て良くない作用があると言うべきです。また、大法弟子の中で良くない影響力をもたらしています。ですから大法弟子は皆、心を法に戻して着実に法を学び、修煉し、理性をもって真相を伝え、決してこのような常人に理解されないことを大げさに言ってはなりません。

 以上は個人に意見にすぎず、間違いがあればご指摘ください。

 2008年8月27日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/8/20/184455.html