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5年も会えない息子を思いつつ、母は永遠に旅立った

(明慧日本)黒龍江省の法輪功修煉者・魯軍さん(39)は、やむをえず外で5年余り放浪している間に母は亡くなり、最期を看取ることができなかった。年をとった父は天涯孤独で泣きながら言った。「息子よ、お前はいまどこにいるのか? お前のお母さんは逝ってしまった。お前の兄も妹もみんな私の傍におらず、私の面倒を見る人はいない! 彼ら(公安局)はまだ毎日私を監視しており、彼らは至る所でお前を捜している。お前の妹の所(北京)や、お前の娘の所(蘇州)へ捕まえに行こうとしている! 彼らはまた私を騙してお前の居場所を聞き出そうとしている」。

 魯軍さんは、七台河市の紅興隆管局老作山金鉱で主任をしていた。仕事の苦労をいとわず、まじめで人となりは穏やかで、現地で人に知られた才知に長けた人だった。 

 しかし、1999年7月に中国共産党が法輪功を迫害し始めてから、魯軍さんは前後して2度不法に拘禁されて、暴力を振るわれた。3つのスタンガンの電気がなくなるまで、体中のいたるところを電撃され、精神と肉体が極めて大きく傷つけられた。2004年3月13日、北興農場の留置場と紅興隆管局の留置場に拘禁され、3カ月後に家族が北興農場の公安局に2千元をゆすられた後に釈放された。2004年11月、建三江法制訓練センター(実際には七星泡洗脳施設基地と留置場が一緒になっている)に拘禁された。29日後脱走して、現在は街を放浪している。

 2004年3月13日午後2時、魯軍さんは昼寝をしていたところ、突然人が呼んだので目を開いて見ると、部屋の中は黒山のような一面の警官だった。警官らは何も言わず、不法に家財を没収し、魯軍さんの煉功テープ、靴とズボンを没収した。魯軍さんの両親がなぜかと聞いたが、警官らは答えず、魯軍さんをむりやり老作山金鉱の派出所まで連行した。

 金鉱の派出所で、北興公安局副局長の朱鳳営は李輝、趙エイ光、趙文開と撮影の4人のがっちりした警官に指図して、魯軍さんに暴力を加えた。人間性のない趙エイ光は大立ち回りで顔を殴り、目、頭部、足で腹を蹴った。そして魯軍さんを地面に打ちのめして革靴の足で頭を踏みつけ、両手を背に反らし、両足に足かせを付けて、それぞれ足で踏んで、拷問を始めた。顔と頭を打って、それからまた強行して拇印を押させ、その夜、すぐ不法に北興留置場に拘禁した。公安局副局長の朱鳳営は、思想改造施設と転向の話で脅した。朱鳳営は「お前を処罰するのに法律はいらない、打ち殺しても何の責任も取らずに済むから平気だ」と言った。

 魯軍さんはいかなる方法もない情況で、断食を始めた。連続6日間断食した後に、北興公安支局は事故が起きるのを恐れて、魯軍さんの年を取った両親に5千元を要求したが、そんなに大金はないため、最後に朱鳳営は2千元をゆすって、6月1日に魯軍さんを釈放した。

 2004年11月14日、紅興隆管局の老作山金鉱公安局の警官・鄭大波、陳福全は魯軍さんを公安局の政治法律委員会まで騙して連行した。秦元福は、お年寄りの魯軍さんの両親に、「状況を聞くだけだから大丈夫だ」と言った。しかし、魯軍さんは公安局局長の王、警官の鄭大波、陳福全に連行された、何の手続もない状況下で、建三江管局、七星農場の思想改造施設(外には黒龍江省法制訓練センターの看板が掛けられている)まで連行して強制的に拘禁した。黒龍江省の柞山金鉱は、魯軍さんに対して1年間迫害する費用として建三江管局、七星農場の思想改造施設に1万元を提供した。

 魯軍さんは12月に脱走してから現在までの5年間、家があっても帰ることができず、やむをえず外で放浪している。この間に、北興農場公安局と老作山金鉱公安局は、いつも不法に(電話を含む)監視して身内の私生活を侵害した。年をとった両親は息子が心配で食事も喉を通らず、寝られず、泣き暮らした。70歳の母は乳癌を患って倒れ、息子が早く家に帰って団らんすることを期待していたが、すでに自分が不治の病気にかかったことを知っていて、たいへん息子に会いたがっていた。

 魯軍さんの母は悲痛と怒りの中でこの世を去り、最後に息子に会うこともできなかった。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任らの情報は、中国語のページを参照)

 208年8月27日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/8/23/184608.html