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河北省定州市:何永蓮さんが受けた度重なる迫害

(明慧日本)2008年7月20日午前、河北省定州市開元鎮派出所の臧克聡及び内化村書記・ケイ建周は、何永蓮さんの自宅へ不法に侵入し、家宅を捜査した後、何永蓮さんを定州市留置場へと連行し、監禁した。

 何永蓮さん(30歳前後 女性)は小油村郷内化村の住民である。1998年に法輪功の修煉者を始めてから、、持病が無くなった。1999年7月20日、何さんと他4人の法輪功修煉者は、一緒に真相を伝えるため北京へ行こうとしたが、列車の中にいた私服警官によって強制的に下車させられ、駅付近の旅館に監禁された。夜になって、小油村郷に送り返され、地元派出所によって郷政府に監禁された。三日後、郷長・李占民の教唆の下、一人50元ずつ恐喝され家に帰された。

 2000年7月20日、小油村郷派出所所長・劉堅、警官・かく亮、劉小勇らは、何さん宅に不法に侵入し、何さんを郷政府へ連行すると、また家族に100元を要求した。そして迫害する証拠を探し出すため、23日夜、警官・劉小勇は再び何さんの自宅に不法に侵入し捜査した。その際、一冊のノートと1篇の法輪大法の経文を見つけたため、何さんを定州市留置場に監禁した。そこでは公安局・陸書軍によって、外に連れ出されて猛打されたため、両足が紫になり、いくつもの手の血管が切れてしまった。陸書軍は「5000元の罰金を支払わないと労働教養を3年間させる」と恐喝した。家族が借金して1015元を支払うと、警官はこれ以上恐喝できないとわかり、何さんを釈放した。

 2001年5月13日、郷派出所および郷政府は何さんを郷政府に6日間不法に監禁し、50元を恐喝して帰した。その後、いわゆる「敏感日」になると、警官らは何さんの家に嫌がらせをして、修煉しない保証書を書くよう押し迫った。

 2001年8月1日、何さんは北京へ真相を伝えに行き、天安門広場で真相が書かれた横断幕を広げたところ、私服警察によって猛打され、足をすくわれてパトカーに乗せられ、天安門公安分局に監禁された。その後東直門留置場に送られ、迫害された。その後再び定州市留置場に移送され、監禁された。警官たちは交代で何さんの顔を殴った。警官・魏海涛は長い木の棒で何さんの足を殴った、そのため足はすぐに肉ばなれし、血まみれになった。

 2001年12月25日、何さんは不法に労働教養を科され、保定労働教養所に監禁された。何さんは自分の信仰を堅持し続けているため、17日間廊下で寝起きさせられ、「厳管班」によって9ヶ月間、酷い迫害を受けた。労働所大隊長・李秀琴、閻慶ブン、張国紅らは、何さんに信じられないほどの苦役を強いた。朝早くから夜遅くまで働かせ、ノルマを達成しなければ寝ることも許さなかった。何さんの指の皮は何度も剥れ、肉が見えるようになった。手には大きな傷ができ、指は酷く腫れてしまった。長時間にわたる労働のため、両足も腫れた。

 2003年8月、何さんは釈放されたが、その当日定州市公安局「610弁公室」小油村郷派出所(劉小勇、楊建昌)、村委員会ケイ文祥らは、何さんに毎日郷派出所に出頭するよう要求し、その後も、何さん宅に絶えず嫌がらせをした。

 2008年7月20日午前、定州市開元鎮派出所の臧克聡、内化村書記・ケイ建周らは何さんの自宅に不法侵入して家宅捜査した後、何さんを連行した。当時、大寺頭村の法輪功修煉者・王坤英さん(50歳前後 女性)も、内化村の友人宅を訪問しているところを連行され、現在、定州市留置場に不法に監禁されている。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2008年8月28日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/8/16/184185.html