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五輪前、陳文バイさんは北京から内モンゴルへ移送された

(明慧日本)2008年5月17日の夕方、北京の法輪功修煉者・陳文バイさん(女性)が警察に連行され、五輪の前に内モンゴルの労働教養所に移送された。8月9日、陳さんは内モンゴル興安盟扎賚特旗の図牧吉労働教養所で42歳の誕生日を迎えた。

 陳さんは海淀区西八里荘に住む医師で、いつも周りの人に親切にしてよく人を助けていた。陳さんが連行された後、勤め先の病院は、予定していた(彼女の参加を見込んだ)医療器械の講座をしかたなくキャンセルした。夫は16歳の子供の面倒を見るため仕事に行かず、借金に頼って暮らしている。

 北京オリンピックの時期、中国共産党の全国に及ぶ労働教養所、刑務所はすべて末日を迎えるかのように緊張し、図牧吉労働教養所は入所者に親族との面会、電話を禁止した。 

 2008年5月17日の夕方、北京市公安局東城支局国保大隊の警官・喬俊領、劉迎軍などが陳さんの家に突然押し入り、家宅捜索して家財を略奪した後、陳さんを連行した。

 陳さんは北京市昌平県豆各荘村の留置場に拘禁された。家族は面会できず、日用品を渡すことも出来ないため、陳さんは現金で中で買物するしかなかった。家族は送金することもできるが、留置場は長い間、郵便局に入金の確認に行かないため、送金がきちんと本人の手に届くかどうか分からない。入金が確認されても、入所者が既に他の所に移送されていることもしばしばある。他の入所者によると、留置場では1部屋に10人以上収容され、食事は主に饅頭と白菜スープである。移送される前ここに拘禁された1カ月間に、陳さんは一日中、部屋に閉じこめられ、屋外に出されたことはないようである。

 7月8日、陳さんは不法に2年の労働教養を言い渡され、北京市大興県団河にある北京市労働教養人員派遣所に移送され、さらに7月16日に内モンゴル興安盟扎賚特旗図吉労働教養所に移送された。ここは内モンゴル、吉林、黒龍江3省の境に位置し、とても辺鄙な遊牧地域で、「文化大革命」時期に都市部の知識青年が追放され、農村部で強制労働をさせられた所である。西のウランホト市、東の吉林省白城市まで共に200キロメートルぐらい離れている。

 陳さんは法輪大法の「真・善・忍」を修煉してから、患っていたいくつもの頑固な慢性疾患が消えた。そして自身の教養も高くなり、姑との関係も良く、家族全員は健康でほとんど病院に行くことはなかった。連行される前、陳さんは夫と共に80歳を超えた父親(母親はすでに他界)に孝行し、父の口に合うご馳走などを作たったりしていた。今、陳さんは労働教養を科され、親孝行をすることもできなくなった。娘が連行されたことを知り、父親は心臓病と糖尿病を患い、血圧は急上昇した。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照) 

  2008年8月31日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/8/26/184778.html