日本明慧
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外に求める心をなくし 主動的に邪悪を滅する

—オリンピックから人心をみる


文/北米の大法弟子

(明慧日本) 以前、国内で迫害を受けたことがあるため、私はずっと法を正し終わる時期に執着しています。ある日、同修は夢を見ました。夢の中で私は腕をしっかりと組み、しゃがんで大声で叫びました。「私はきっと最後までがんばる!」と大変苦しそうな様子でした。その時、同修は「あなたは(法を正す時期の)終了時間に対して執着心があるでしょう」と私に聞きました。よく自分の心を分析すると、やはり自分と家族がすべて迫害を受けているので苦しい目に遭いたくなくなり、終わることを待ち望んでいて、衆生を救い済度することより自分の気持ちを最優先にしていました。ずばり言うと私心であり、ただ自分だけ解脱したくて、自分が世の中に来たのは衆生を済度するための使命であることを忘れてしまいました。

 それから、この心をだんだん取り除いて、一分でも大金に値する今の時間を大切にして、三つのことをしっかりと行うべきだと悟りました。しかしオリンピックの開催前に、私はとても焦りました。確かに時間に対する執着ではなく、ただ衆生に警報を鳴らすためだけだと自分は思っていました。たくさんの中国人は皆、悪党に洗脳されて無神論者になったため、神のことを顕現したら彼らを目覚めさせるだろうと思い込んで、自分の念は正しいので役に立つものだと思っていました。

 結局、私の予想の光景が現れず、多少失望しました。もちろん、この結果は私一人の状態によるものではなく、大法弟子全体の状態によると思います。しかし、内に向かって探すと、私は自分が思ったほど念が正しくはありませんが、人心を持って問題を見ているのだと気付きました。たとえば、予言を非常に重視することは、実は外に向かって求めており、依存心、怠惰心の表れです。

 私はふだん、真相を説明する時によく予言に依存して、いつも普通の人に対して脅かしたり大げさに話したりします。もしこの時になんらかの大事件が現れたら、真相も説明しやすくなると思っていました。「見てみて、私が言うことは本当でしょう? 早速脱党しようよ」と言いたくなります。実は不精な心、上手く立ち回る心であり、天象の変化を利用して人に脱党させ、助けようとする心です。自分が根気よく細やかな説明を通じて人を助けることをしないで、老婆心のように繰り返し忠告して真相の説明を避けたいわけです。

 実は、本当に人を助けるには人の心を変えなければなりません。私達は真相を上手くはっきりと伝えなければなりません(上手く、はっきりと言うのは必ずしもくどくど話すのではない)。その中に、予言の中でもこういう話もあると交えてすればよいです。もし予言だけを話して人を救うことができるならば、何のために師父は私達大法弟子に真相説明をさせるのでしょうか? その人は予言に救われたので、大法弟子に救われたのではありません。どうりで多くの人は、私が言うオリンピック時期にいろいろな事が発生すると聞いても信じず、さらに私とこの事について賭けるようになってしまいました。私自身の心が正しくないわけで、外に求めて、私の言った話を信じなかったのは彼らがすべて悪党に洗脳されて無神論者になったのが原因だと思い込んでいました。

 また、天象の変化を期待して、実に自分が大法弟子としての責任を負わず、強烈に外に求めていました。もし、本当に外へ求める念で大雨あるいは何かの大事件が発生したら、それは大法弟子がしたことになるでしょうか? そうではありませんが、それはきっと雨を降らせるその竜王がしたことです。法を正す中で、衆生を救い済度する中で、こんなに大きい役割を果たすことは、どの竜王がこの責任を引き受ける勇気があるのでしょうか? またどの竜王ができるのでしょうか? ただ大法弟子にしか、正法の中でこのように大きい役割を発揮することはできないのです。

 ここまで書いて、私は発正念のことを思い出しました。師父は『ロサンゼルス市での説法』の中で「正念を発するとき、何も考えていないという入静の状態を要求しません。正念を発するとき、念があるのです。しかも、念は非常に強いのです。」とおっしゃいました。私達はどんなことを念じるかが非常に肝心なポイントです。しかし、私達は人心を持って、その中に自分が思い込んでいる役に立つ念を入れ込んでいます。師父に啓示されたことに従わなければ、発正念の作用を最大限に発揮することができません。大法弟子の皆さんはもう一度、発正念の要領を勉強して、本当に師父に要求されたように従うようお勧めます。

 今回の教訓を通じて、最も私を目覚めさせたのは、いかなることでも外に求める心と依存の心理があってはいけないということです。大法弟子は必ず自発的に邪悪を一掃し、真相をはっきりと説明しなければ、正しい道を歩むことができません。法を正す過程の各方面にも、私達はすべて人類社会の何らかの事、天象がどのように変化するかを期待してはいけません。天象の変化も、大法弟子が師父の言われた事に従うことに伴ったことであり、何かの外来の要素ではありません。ある同修は、このようなことを言ったことがあります。「普通の常人の中に現れたすべては天象の変化によって成り立ったものであり、その天象の変化はまた何かにより成り立ったのでしょうか? 師父の法を正す勢いの下で、同修たちがしっかりと三つのことを行う過程の中で生まれたのです」。

 最後に、師父の『2002年米国フィラデルフィア法会での説法』の一部をもって同修と励まし合いましょう。「大法弟子として、いわゆる自然的な変化、外的な変化、常人社会の変化または誰それが私たちに恩恵を与えるのではないかということに期待してはいけません。皆さんは神であり、未来の異なる宇宙の主宰者ですが、皆さんは誰に期待することができるのでしょうか? 衆生は皆あなたたちに期待しています。」

 そうです、私達は神であり、私達こそ今の宇宙の主役です。私達は自分の責任を引き受けましょう。この責任をオリンピック、予言、あるいはその他の普通の常人社会に現れる大事件に依頼しないようにしましょう。同じ道理で、今生じている新唐人放送事件、フラッシング事件なども私達大法弟子が自分自身の正念でしっかりと解決するべきです。

 個人的な体得であり、適当でないところは慈悲なるご叱正を願います。

 2008年9月1日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/8/18/184223.html