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「荒波は砂を洗う」についての悟り


文/清宇

(明慧日本)師父は「『荒波は砂を洗う』という言葉がありますが、修煉はまさにそうで、最後に残ったものこそ真の黄金(おうごん)です」(『転法輪』)と説法されました。

 海の中で、小さな波は水を動かすことしかできませんが、荒波は砂を洗い動かすことができます。しかし荒波も黄金を動かすことはできません。もし常人を水に喩えたら、修煉者は砂で、修煉者の神の一面は黄金に喩えることができます。

 常人は「ちっぽけな利益のために、喜んだり、悲しんだり」します。小さなことで、喜んだり、怒ったり、悲しんだりしますが、それは常人です。中国で行われたオリンピックというこれほど大きなことに対して、その現れとして毎日テレビに気を取られ、金メダルを何個獲得したか、誰が取ったか、もしみなで一緒にテレビを見たとしたら、目にするのは狂ったような有様で、拍手の音か絶えず、まったく理性を失っています。しかし教養レベルの高い人、大事を成し遂げられる常人は、何かにぶつかっても驚かず、心では結果を重んじ、自分の事業に対してどのくらいプラスとマイナスの影響があるかを考えます。

 修煉者はすべての善くない物質と観念を捨て、常人の表面的なことに動かされないようにすべきです。もし動かされたら、すでにどのくらい動かされたか、どの程度まで動かされたか? その差はどのくらいかを見ないといけません。例えば、オリンピックについて、オリンピックはあと数日後開かれるか、開幕式は成功するだろうか、陳情に行った人はいるか、安全検査はどれほど厳しいか、だれがオリンピックの開幕式をプロデュースしたのか、開幕式が成功したら、毎日テレビで試合をみたかどうか、どの国が金メダルを何個獲得したか、また閉幕式も成功したなどなど。16日間のオリンピックの間、われわれはいったいどのくらい心が動いたでしょうか? 16日の間、法を正す時期の大法弟子として、師父が私たちに教えられた三つのことをどのくらいやったでしょうか? この16日の間、私たちはどのくらい縁のある人を見逃したでしょうか? もし私たちが人間の心を動かしたとしたら、ただの砂にすぎません。

 荒波は過ぎ去りました。一部の同修はまだ心を静めることができず、自分が悟ったことと異なると思い、また真相を伝えるとき話したことと結果が異なるということで、面子を失ったと思い、心が動じてしまいました。自分にどのくらい重い大きな人心があるかを見ず、心を静めて、この結果には自分の心が動かされたための一部の責任もあるのではないかと問うことができません。このことは私たちに、これから真相を伝えるにおいて、必ず口を修めることに注意しなければならないことを警告しています。

 毎回の荒波の中で、一部の砂が洗われます。私たちは師父について、十数年間法を正しましたが、まさかただの砂になるためだったのでしょうか? 毎回洗われて、流されるためだったでしょうか? 絶対そうではありません。私たちは金剛不動の黄金になるべきで、どれほど大きな荒波があっても、私たちは盤石のようにしっかりと、一念一念はただ法のために動くべきで、人間あるいは人類社会の表面的な現象にしたがって動かないようにすべきです。黄金であれば、光ります。真に光り輝く佛は人類がどのように発展すべきかのために心を動かすでしょうか?

 毎回砂を洗った後、最後に残ったものは黄金しかないのです。

 2008年9月2日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/9/1/185127.html