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天津市の馮作如さんは迫害を受けて死亡

(明慧日本)天津市北辰区西堤頭村の法輪功修煉者・馮作如さんは、3年の労働教養処分を言い渡され、服役中に迫害を受けたことにより糖尿病が再発し、2008年8月8日、冤罪が晴れないままこの世を去った。

  馮作如さん(55歳女性)は、字が読めない。30代の時夫が病気で亡くなったが、彼女は後家を貫き通し、息子と娘を養ってきた。しかし、子供がまだ成年にならないうちに健康を崩してしまった。

  馮さんは、1998年から法輪功の修煉をすることにより、重い糖尿病がよくなり、仕事を続けることができただけでなく心も穏やかになった。馮さんは、法輪大法と、師父から新たな人生を頂いたと感激し、誰かに出会うたびに「法輪大法は素晴らしい」と心から伝えていた。

  2001年に、馮さんは真相資料を配った現場で連行され、3年の労働教養処分を言い渡された。天津市板橋労働教養所に拘禁された馮さんは、法輪大法への信仰を貫こうとしただけで、「厳管隊」に移された。殴られ、悪口を言われ、いじめに苦しんだ馮さんは、とうとう糖尿病が再発した。しかし、労働教養所は病気になった馮さんの面倒を見ず、食事も満足に与えなかった。その上、強制的に有毒な仕事をさせ、心身の安全を脅かし、「奴隷工」のように、他の拘禁された人たちと一緒に深夜12時過ぎまで強制労働をさせられた。

  2002年7月、残酷な迫害を受けた馮さんは、他の拘禁された修煉者たちと一緒に、その厳しい奴隷作業に対してストライキを行おうとしたが、虐待は一層激しくなった。毎日、背のない小さな椅子に座らされ、大、小便も制限された。トイレにも行けず、部屋の中で大、小便だけが許された。馮さんはトイレに行こうとして部屋を出たところを、警官が押し止めようとしたが、馮さんは突き進んだ。警官の指図で当番の係員・鄭は、馮さんを呼んで中隊部に行かせ、中隊長・宋艶珠は馮さんを脅した。馮さんは「なぜトイレに行けないのか」と主張したが、中隊長・宋艶珠は辱める言葉だけを口にした。侮辱を受けた馮さんは「下品だ」と言い返した。その後、警官の劉春艶、宋艶珠、趙某は、酷く殴り、罰として立たせた。2003年6月3日、受刑者らは警官・寇娜、殷廠長に指図され、趙徳文さんに麻薬を注ぎ込んだ。趙徳文さんは厳しい虐待を受けて死亡した。

  3年の服役期間が満了し、馮さんは釈放された。馮さんの娘は共産党の邪悪な迫害を危惧し、二度と母親が迫害を受けないようにするために、母親と他の修煉者との接触を断とうとした。しかし馮さんは、新たな人生を与えていただいた法輪功を、続けて修煉しようとしても字が読めず、本が読めないため、他の修煉者との交流を渇望した。糖尿病も、治ったり再発したりを繰り返しながら、2006年5月頃、馮さんは卒中で半身不随となり、最後には糖尿病が悪化して両眼を失明。2008年8月8日に馮さんは冤罪が晴れないまま死亡した。

  2008年9月4日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/9/3/185223.html