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吉林省:楊光さん、吉林刑務所で虐待され死亡

(明慧日本)長春の法輪功学習者・楊光さん(56歳・男性)は2008年8月25日吉林刑務所内で迫害され死亡した。楊光さんは、吉林刑務所に拘禁されていた8年間に数々の非人道的な虐待を受け、何度も生命の危機に陥った。壮健でたくましかった身体は、迫害により全身の筋肉が萎縮し骨と皮までに痩せこけ、両脚に障碍を受け足指は潰爛により変化し、自立機能を完全に失って歩くことも出来なくなっていたが、吉林刑務所はずっと楊光さんを釈放しなかった。

 2008年8月、楊光さんは再び生命の危機に陥り、痩せこけ、突然全身が浮腫んで食事ができなくなったが、吉林刑務所は釈放しないばかりか、却って吉林鉄路医院へ送り、引き続き迫害を加えた。8月25日楊光さんは冤罪が晴れないままこの世を去った。中共悪党は証拠を隠すために、強制的に遺体を火葬した。

 楊光さんは強制連行される以前は、山東省のある外国との合弁企業の社長だった。2000年11月、白山市で強制連行され、その後、長春に移され、長春市公安局一処の梁処長とその指揮下の十数人に残酷な刑罰で自白を強いられた。刑罰には、スタンガンによる長時間の電撃、トラの椅子、鉄の棒で殴打、両手を後ろで縛って吊るし上げ、揺すぶりながらめった打ちする、連続して30〜40時間睡眠を与えず尋問する、ビニル袋を頭にかぶせる、強制的に酒を飲ますなどがあった。警官らは手柄を横取りし、受賞するために、楊光さんのことを「大きな案件、需要な案件」に作り上げ、「北京に指示された」、「アメリカに操られた」、「長春市法輪功組織の責任者」であると認めるよう強要した。長春市公安局一処は、拷問によってでっちあげた、楊光さんがアメリカに操作されたという「犯罪事実」を公安部に報告し、羅幹に報告した。この件で長春市公安局一処は羅幹が指示し、公安部から「集団一等功」という褒賞を受けた。

 2002年南関区裁判所で不法な審判が行われたとき、みな楊光さんが人に支えられて歩いているのを目にした。当時、楊光さんは右足が殴られて骨折し、まったく動けなくなり、大脚骨が壊死していた。楊光さんは不法に15年の刑を言い渡されて、吉林省第二刑務所(吉林刑務所)に拘禁された。当時楊光さんは警官らに担ぎこまれて吉林刑務所に入った。

 楊光さんは吉林刑務所の「老残区」(年寄りと身体障害者を監禁する区域)の「裸体区」に監禁され、下半身は、ズボンを穿くことを禁止され、裸のままにされていた。下半身不随となり大小便が不便なため、他の囚人が「特製」の簡易車いす{身体障害者が使う車椅子に似ている}を作ってくれた。この車いすは、周りを鉄パイプで溶接したもので、周囲は木の板で作られ、座るところに、洗面器くらいの大きさの丸い穴があり、下に4つの車輪が取り付けられていた。楊光さんが大小便をする時、他の囚人がこの特製の車いすを押して彼を便所に連れて行くと、そのまま楊光さんをひとり残して戻る。車いすの周囲は木板のため、楊光さんの手は届かず、毎回の排泄の後始末ができなかった。楊さんは刑務所内の精神病の囚人や、また殴打された為に不具になった刑事犯や自立機能を失った犯罪者たちと一緒に、冬は寒くて夏は暑い、年中日の当たらない「裸体区」で、辛い毎日を送っていた。眠る場所は60センチメートルたらずで、食事も極めて粗悪なものだった。入浴は、楊光さんを「水房」(訳者注:水房はお風呂場ではなく、大勢の人が同時に顔を洗ったり、歯を磨いたりできる多くの蛇口が設定されている場所)に放り出し、水道の蛇口からホースで水をかけた。かけ終わると、釘がついたモップで体を拭いた。これには「美容お風呂」と聞こえのよい名称が付いていた。

 2004年12月、楊光さんの体の状況が悪化し、家族は重病のための一時出所を要求したが、吉林刑務所は釈放せず、かえって長春鉄北刑務所に移動し、引き続き迫害を加えた。長春鉄北刑務所中心医院の後ろにある仮設住宅の中で、楊光さんは治療も受けられず、体は痩せこけ、すでにほとんど全身が不随状態になっていた。警官らは楊光さんの家族に毎月1100元以上の高い、いわゆるベッド費を納めるよう強いた。これはいかなる経済的出所もない家庭にとって泣き面にハチであった。

 2005年6月、楊光さんは吉林刑務所に戻された。不法警察メンバーらはずっと彼を迫害の重要目標とした。彼の体の状況が極めて悪化しても、引き続き迫害を加えて死に致らせようとした。楊光さんは転向させようとしている人らの前で、全身の力を振り絞り、大声で「私が真善忍を修煉することは間違ってない!」と叫んだ。8月8日ころ、吉林刑務所は楊光さんが迫害され気息奄々となっている状況下で、吉林刑務所の指定医院に送った。家族との面会は禁止した。

 2006年、楊光さんはすでに全身不随となり、結核性肋膜炎を患い、衰弱して、常に生命の危険に晒されていた。しかし吉林刑務所は依然として彼を釈放しなかった。

 吉林刑務所(すなわち吉林省第二刑務所)は吉林市軍民路100番に位置している。吉林省で重刑を言い渡された100名以上の男性の法輪功学習者は前後して不法にここで監禁され、あらゆる侮辱を受け尽くした。すでに分かっているだけで、劉成軍さん、魏修山さん、張建華さん、崔偉東さん、何元慧さんなどの法輪功学習者が迫害されて死亡した。カク迎強さん、雷明さんなどの法輪功学習者は迫害を受け尽くした後、他の刑務所に移されるか、あるいは重病により服役中の一時出所後まもなくしてこの世を去った。また数名の学習者は迫害されて不具になった。元刑務所所長・李強、政治委員の劉偉、教育課課長・李壮、悪辣な警官・王元春らは狂ったようにわめいた。「吉林刑務所で、おまえを6日生かせるとしたら、おまえは5日たたないうちにおしまいになる」と。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2008年9月5日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/9/2/185168.html