日本明慧
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二〇〇八年ニューヨーク法会での説法を読んで


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)同修たち覚えていますか? 師父はどうして「経文」を発表されるのでしょうか? 法の中で師父はこのように言われました。「大法弟子の修煉の中での紆余曲折を少なくするため、普遍性を有する、あるいは重大な問題が現れてくるたびに、わたしは文章を書いてタイミングよく指摘しています。 それによって弟子に認識させ、大法がこうむる損失を少なくするようにしているのです。それというのも、道を正しく歩めるかどうかは、弟子が正しく修めているかどうかを見るだけではなく、大法全体の形式が正しいかどうかも鍵となるからです。そのため、師としては現れてきたずれを常に修正しなければいけないのです。」(『精進要旨』「取中」より)

 以上の法の中で容易に見て取れます。これは私たち全体の修煉状態に差が出て来たから、師父は「経文」を発表されます。私たちは皆、自分を排除してはいけません。自分を法に照らし合わせるべきです。

 師父の『二〇〇八年ニューヨーク法会での説法』が発表され、私は一度だけ読んでそのままだったため、深い印象がなかったのです。その後、心を静め、この経文を捧げ持ってまじめに10回読み終えると、法の中の話は私を驚かせました。「あなたは自分を台無しにしています。」「圓満成就することができません。」そうですね。どうして法を正すことがそろそろ成功し、修煉もそろそろ終わろうとしている今、師父はこんな話題を出されるのでしょうか? 深く考える価値があります。自分が歩んだ道を回顧してみれば恥ずかしい思いです。この数年間、自分が内に向けて行ったことがいくつありますか? 自分を修めたことがいくつありますか? 本当に危ないです。師父はまた私たちに警鐘を鳴らしてくださいました。

 師父は明確に、法の中で「一部の地区の学習者が少ないからといって、または、一部の地区の学習者の間にずっと論争が存在しているからといって、皆さんの法を実証すること、衆生を救い済度すること、甚だしい場合、個人の修煉まで消極的になってはいけません。あなたは自分を台無しにしています。すべてのついてきていない人、消極的になった人、不平たらたらの人、他の人に対してひどい不満を持っている人、佛学会の人ばかりを見ている人はいずれも、自分自身を修めたくない人で、外に向けて修めています。」とおっしゃいました。

 同修と磨き合う時、たくさんの同修は法を学び、発正念をし、真相を伝えるだけで円満成就できると考えました。だから、多くの同修は「三つのこと」しかやりません。自分の修煉を軽視しました。ここで同修に呼びかけます。心を静め、この法をよく学び、自分を修めましょう。師父は円容しています。同時に自分に照らし合わせてみれば、法の中でどれかが自分を指しています。自分をよく修めてこそ、よく衆生を救えるのです。

 以上は私の修煉体験ですので、適切でない所があれば、慈悲なる指摘をお願いします。

 2008年9月6日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/8/29/184928.html