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滄州市の法輪功修煉者・李志法さんは精神異常になるまで迫害された

(明慧日本)河北省滄州市の法輪功修煉者・李志法さん(61歳男性)は泊頭市窪里王郷の住民。李志法さんは人に優しく、いつも他人の事を考える人である。軍人に決して曲げない誰でも知っているまじめな人である。「真・善・忍」の法輪功に基づいて、健康で楽観的な李志法さんは7年近くも残酷な迫害を受け、虐待され顔が別人のように変わって、精神に異常をきたしてしまった。

 2001年7月27日、李志法さんは、滄州市二医院の電話ボックスで電話をかけていたところを、滄州市の国保大隊、防暴大隊の警官らに見つかり、強制連行された。防暴大隊に不法に身柄を十数日間拘束された。この期間、警官らは李さんの両手と両足を鉄の椅子に手錠をかけ、交代で自白を迫った。睡眠も許さず、殴打し、スタンガンも受けた。体に水をかけた後、スタンガンでショックを与え手錠と性器にもショックを与え、毎日棒で頭を打たれた。

 残虐な迫害を受けたため、李志法さんの精神に異常をきたした。それでも警官らは李さんを滄州市第一留置場に連行した。意識が不明で、李さんは自傷行為を起こして自分の肩を噛んだため、出血した。また、自分の頭も殴った。にもかかわらず警官らは釈放しようとしなかった。国安、運河分局は何回も不法に審問し自白を迫った。留置場で不法に身柄を拘束していた期間中、毎日後ろで手錠をすることを強制されたため、手首の周りが青くなっていた。

 李志法さんは迫害され、体が極度に虚弱し、自己管理の機能も失ってしまった。この状況下で、2002年8月16日、滄州市運河区の共産党政権が裁判所を操り、不法に李さんに7年の実刑を下した。李さんは人に支えてもらいながら裁判を行った。

 2002年9月、李志法さんが唐山冀東刑務所第四支隊に送られ、不法に身柄を拘束された。李さんは極度に衰弱し、当時刑務所は2人を派遣し、看護にあてた。精神的な虐待は決して緩むことはなかった。無理やり、李さんに転向させるため精神的に虐げていた。

 この数年、刑務所で李志法さんは精神的に良くなったり、悪くなったりしていたが、2006年末、病状が急激に悪化して全身が痙攣し、顔が蒼白となり手足が冷たくなり、治療しなければならない状態となったため、刑務所は李さんを四支隊病院に送った。家族がこれを知って見舞いに行ったが、警官から拒否された。

 80歳を超えた母親は7年間息子と会っていないため、息子に起きた事を心配し、家族に隠れて、北に向かう列車に乗った。滄州から唐山まで240キロ、唐山から冀東刑務所まで50キロ、刑務所本部から四支隊まで35キロもあった。いても立ってもいられない母親は、急いで息子のところに向かったが、四支隊はどうしても息子に合わせてくれず、母親はただ泣き泣き家に帰った。

 家族が数回にわたって告訴を要求した。刑務所は減罪、保証人がいる元で李志法さんを病院に連れて行き、治療することに同意した。

 唐山中等裁判所に告訴した時、裁判所は人を派遣して李志法さんと面談をした。法輪功に対してどう思うかと聞かれた李さんは、「『真・善・忍』がよくなければ、この世界で何がよいというのですか?」と答えた。裁判所の人員は怒って「彼はまだ転向されていない!」と叫び、刑務所の警官を非難した。結局、減刑はしなかった。

 2008年7月4日、虐待されたため、高血圧、脳萎縮、脳卒中、てんかんなどの重病になった李志法さんは、河北翔刑務所に保証人がいる元で病院に連れられて治療され、家に戻された。釈放日より23日経った後のことであった。

 家族は、意識不明になるまで迫害され、体が虚弱して生活もままならない李志法さんを見て、また同じようなことを恐れ、李さんに関する情報を隠蔽した。

 窪里王郷派出所は泊鎮610弁公室の命令に従って、何度も繰り返して李志法さんの家族に電話をかけ、李志法さん行方を教えるよう脅し、さらにその家族に滄州で李志法さんと面会するように強要した。

 現在、李志法さんは全身が痙攣し、顔が蒼白となり手足は冷たくなり、いつも脳の中に何かが入っていると言い、全身無気力で、散歩に行くと家が見つからなくなって戻れない状態である。漢字も思い出せず思考力も無くなってしまった。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2008年9月9日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/9/5/185344.html