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ある若い女性内科医の遭遇

(明慧日本)河北省唐山市古冶区趙各庄病院で、内科医師を勤める王玉船さんは、1997年に大学を卒業してから、古冶区趙各庄病院に就職し、内科医師になった。1998年、ある偶然の機会で、彼女は法輪功を知り、修煉し始めた、「真・善・忍」は人の良し悪しを判断する唯一の基準であることを知り、善には善の報いがあり、悪には悪の報いがあることも分かり、それからは「真・善・忍」に基づいて自分を律した。

 1999年7月、法輪功が迫害に遭って以来、王さんが人身の自由を失っていた期間は3年8カ月にも達した。王さんはかつて、前後して古冶区留置場、唐山市安康病院、唐山市「法制教育学校」(思想改造施設)、開平の河北省女子労働教養所、石家庄の「法制教育センター」(思想改造施設)に不法に拘禁されていた。人身の自由を取り戻すため、若い命をかけて、自分の合法的権利である信奉の自由、人身の自由と言論の自由を守るため、かつて何度も断食で抗議した。

 断食したため、王さんは何度も残忍非道に胃に管を強行して入れられた(灌食)。ある時、唐山市安康病院の医師、看護師、保安及び受刑者の20人あまりによって胃に管を強引に入れられ、管が気管まで入れられた所で、窒息を引き起こし、もう少しで死ぬところだった。

 度重なる強烈な抗議によって、古冶区公安支局は何度も、趙各庄及び趙各庄病院に彼王さんを引き取ることを要求したが、当時、趙各庄党委員副書記・高孝徳、および原趙各庄病院院長兼書記の・王継岩らは、個人の私利私欲のため、どうしても王さんを引き取らなかった。その上、高孝徳はまた自ら王さんを開平強制労働教育所へ送り込んだため、王さんは長期的に人身の自由を失い、受けるべきでない苦痛と迫害を受けさた。

 開平強制労働教養所で、王さんは修煉しないという保証書を書くことを拒否したため、連続1カ月あまり睡眠を奪われた。24時間、強制的に立たせる体罰も受けた。看守は受刑者(女性)に命令して王さんを監視させた。少しでも目を閉じるとすぐに罵られた。王さんは、あまりの眠さにうわごとを言うほど辛く、脚も酷く腫れた。労働教養所はこの体罰を「鷹を煮る」と呼んでいた。

 それだけではなく、毎日、数人の警官から法輪功に反する屁理屈な邪説をずっと聞かせられる。これは車輪戦術で交替で行われた。また、両手で頭を抱え、長期的にしゃがまなければならない体罰をさせられたため、両脚がしびれて痛く、それでも屈服しなければ、連続して大ビンタを食らわされる。それでも屈服しないと、電気棒で感電させられる。

 2008年8月7日夜11時、「オリンピック」開幕式の前夜、王さんは再び趙各庄病院の中共の書記・崔興隆、院長・王建軍と他の者に、趙各庄の宿泊所へ強制連行された。開レン「610弁公室」及び開レン医療集団悪書記・カン志生、副書記・劉建国からの命令で、王さんがオリンピックの間に上京するのを防ぐため、再び22日間監視し、人身の自由を奪った。王さんは、出勤することも、両親に会う事も許されず、自由に出入りすることも禁止された。王さんが逃げられないように、昼間は3人、夜は4人体制で監視した。

 何度かの強烈な要求で、王さんは現在ようやく出勤することができたが、病院側から24時間、携帯電話の電源を入れるように要求された。そして毎晩、病院の事務室から電話がかかってくる。王さんが在宅中で、北京へ行っていない事を証明するため、必ずその確認の電話に出なければならない。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2008年9月10日


(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/9/4/185292.html