日本明慧
■印刷版   

正々堂々と修煉する


文/大陸大法弟子

(明慧日本)私は若い女性大法弟子です。法を得たのが遅く、最大限に常人状態に符合して修煉するという形式についてよく理解できず、間違って過去の個人修煉の方式で修煉してきました。人為的に正常な生活の中での仕事、友人との付き合いなどを捨て、閉鎖された環境の中に身を置いて、三つのことを行いました。

 過去数年間の修煉の中で、三つのことは絶えずやってきており、三つのことが最も重要で、修煉が重要で、他のことは時間を無駄にするだけで、修煉に影響を与えると思いました。このように極端で、過激な心理状態で、修煉してきましたが、自分ではよく精進している、正しいと思っていました。しかし、なんと言っても私は常人社会で生活しているのです。長期にわたりこのように孤立して、仕事もせず、友人も作らず、或いは以前の友人から遠く離れてしまいました。また、何回か仕事をしましたが、依然として内心で仕事を排斥していました。このような矛盾した心理状態で生活しながら、依然として自分の考えを堅持しました。時間が長くなるにつれて、社会とはますます合わなくなり、最後には常人に会うと噓で自己を維持し、あえて他人に本当の自分の状況を知らせないようにしました。内心では常につらく感じ、常人に何が分かるのか、私は最も偉大なこと、人を救っており、修煉していると思っていました。

 自分の極端に気づいておらず、私は長期に亘り考えが静かになりませんでした。自分はなにもかも放棄して、とても精進して、とても努力しているのに、雑念がこれほど多いのか、座禅しても入静できないのかと不思議に思いました。最近になって、自分が極端に走っていたことが認識できました。実際、以前も何回かこの問題を考えましたが、いつも答えが得られなかったのです。今回は平然と自分の過ちを正視し、本当に法をもって自分の足りないところを対照しました。

 師父は『精進要旨』の中で「退職した後に修煉する」、「圓容」、「修煉と仕事」などで、すでに説法されましたので、私たちも自分のちっぽけなものをつかんでいてはならず、切り捨てるべきです。修煉はほかでもなくまさに自分のよくない部分を捨てることであり、普通に仕事をして、生活をし、友人を作り、正々堂々と生活と修煉に対処し、周りのすべてと調和が取れて、こうしてはじめて更に多くの人を救うことができ、師父の按排された修煉の道をよりよく歩むことができます。

 ここで明慧ネットの一角を借りて、この問題について議論するのは、多くの同修もこの方面での体験をみなと交流し、共に向上できることを望んでいるからです。

 不適切なところについて、慈悲なる叱正を願います。

 2008年9月12日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/9/9/185554.html