日本明慧
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内に向かって探すことを修煉の机制にするべき


文/大陸の大法弟子

(明慧日本)師父は「オーストラリア学習者への説法」の中で繰り返し、内に向かって探すことを強調しておられます。しかし、私の回りにいるたくさんの同修は。まだ内に向かって探すことができていませんが、これは私自身も含みます。問題が発生したらいつも他人を見て、他人を非難します。あるいは、形式的に自分の事を反省しますが、自己の状態に固執して変えたくありません。あるいは本当に心を静めて自分の問題を探していません。

 数日前にある事がありました。私は新しいMP4プレイヤーを買って師父の説法を聞いていました。もうすぐ終わるところで突然電池が切れて、自動的に消えてしまいました。私はとても残念に思い、充電器を取り出して充電しました。しかし思いがけず、繋いだ途端にMP4が故障しました。スクリーンに電池マークが出ましたが、よく見たらフリーズしたかのように、どのように操作しても反応がありませんでした。妻は見てちょっと怒っていました。私はたくさんの大法関係の内容を入れているため、機械が故障しても交換もできなくなる(大法の内容を発見されたら捕まるため)ことについて愚痴をこぼしていました。

 最初、私も焦ってしまったが、だんだんと心を静めて自分のことを反省しました。「この小さいMP4に大法音楽を中に入れており、私の法器であるはずですが、どうして壊れてしまうのでしょうか? きっと私に何か間違った心があったのでしょう」と思いました。私は発正念をしながら自分の事を反省し、そばには愚痴をこぼしている妻がいました。私はまず面倒くさがる心を放下すること、また愚痴を言われることを恐れる心をも放下し、もし本当に駄目だったら明日、正々堂々と交換しに行きます。大法の内容を発見されたらついでに真相を説明します。結局、最も重要な問題を探し当てました。それは、大法をMP4の中にインストールしてからよく早送りしたりし、たいへん無礼でした、その上、私は暑いときによく上半身はだかで大法の本を読むので、これも師父と大法を尊敬しておらず、自分の行為が間違っていたわけです。

 内に向かって探した後に、私はパソコンを開いて、心を静めて先に残った説法を続けて読み終えました。本当に毎回説法を読むたびに深い体得がありますが、師父の説かれた法はなんとも以前聞いたことがないように新鮮感があり、一つ一つの文字がすべて私の心を打ちました。間もなく見終えようとする時、あのMP4が突然光り、正常に回復しました! 今回、私は本当に内に向かって探すことが向上する要だと体得しました。

 この事を通じて私は体得しました。つまり、私は内に向って探すことを修煉の机制と、いかなる問題に出会っても、トラブルが発生しても、なにか障害が現れても、すべて自分を反省してみるべきで、きっと自分が間違っている、自分の方が逸脱していると思うべきです。心が動じられるとき、不満に思う時、何かに対して喜んだり、悲しんだり、怒ったり、恐れたり、心配したりした時、自分の心が落ち着かず和やかにならない時、自分の心をよく見てみるべきです。きっと執着があるはずです。きっと人心があなたを動かしています。しかし、修煉者はいろいろな行ないに動じられてはなりません。自分を反省しないことは、旧宇宙の生命が悪くなったことが原因で、ずばり言うと「私心」です。修煉者として、私達は必ず自分の心をよく修めなければならず、名、利、情をなくして、真、善、忍に同化します! 法をもってすべてと照らし合わせ、三つのことをしっかりと行うことこそ、師父の慈悲深い済度を裏切らないことなのです。

 個人的な体得であり、不適切なところはご指摘ください。

 2008年9月13日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/9/5/185324.html