日本明慧
■印刷版   

二言三言:慈悲


文/大陸大法弟子

(明慧日本)数日前に同修と交流したとき、発正念で全ての邪悪を一掃し、悪人が報いに遭うことについて言及した。「私達の一部の学習者が発正念する時、悪人が報いに遭うと言わないのは、それは慈悲ではなく人を呪うようだからです」。その同修が言ったことに、私は本当に吃驚した。どうして現状が改善しないのでしょう。私達はずっと発正念をしていますが、悪人は報いに遭わず、依然としてわれわれを監視し、妨害しています。本当の原因は、私達が発正念する意義が分かっていないということです!

 考えてみると、私達は長い間修煉して、風雨の中で正法の最後の時期まで歩んできました。学習者たちはますます成熟しているべきで、ますます理知になり、法理もますます明確になっているはずなのに、しかし学習者にどうしてこのような考えがあるのでしょうか。

 師父は次のように言われました。「法は確かに衆生に慈悲深いのですが、しかし威厳のあるものでもあります」。(『2003年旧正月十五日米国西部法会での説法 』)それでは同修として、学習者が迫害されることを耳にした時、あるいは目にした時、あなたのその無関心は慈悲でしょうか? みんなはすべて知っていて、「人は、以前に悪事を働いたために病気になったり、魔難に遭ったりしています。苦しみを味わうことはほかでもない『業』を返すこと」なのです。(『転法輪』)それなのに悪人や悪らつな警官は、正法時期の大法弟子を迫害しており、罪はどのように償うのでしょうか? 彼らは償うことができるのでしょうか? もしも彼らに真相が分かれば、迫害を停止し、もちろんそれによって、彼らは幸せな未来を迎えることができます。しかし、もしも彼らが邪悪な共産党の毒素を受け続けたならば、真相を受け入れず、このような人は救えないのでしょうか? 答は否です。この世の中の人は、すべて済度されるのです。それではこれらの人は、悪の報いを受けることによって恐れるようになり、それによって彼らの悪行が減り、もう大法弟子を迫害しなくなり、結果、彼らが作る業も少しとなり、彼らの罪もそれほど深くなりません。もしかすると彼らはまた、それから真相を聞きたくなるかもしれませんが、これは済度できるのでしょうか? もちろん彼らが以前作った罪はやはり返済しなければならりません。しかし、彼らはこの上ない苦痛の中で永遠に罪を償うことはなく、徹底的に消滅されることもありません。これこそ本当の慈悲で、これも私達の持っている威厳です!

 同修達よ、私たちは一つの全体となって、理知とはっきりとした認識をもって共に最後の道によく歩むべきで、常人の執着を取り除き、本当に一つになるべきです。徹底的に当地区と周辺地区のすべての邪悪を解体し、さらに多くの衆生を救い済度するため、もっと良い環境を創り上げましょう!

 初めての投稿なので、個人の浅い認識であり、不足があれば慈悲なるご指摘をお願いします。

 2008年9月15日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/4/12/176166.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2008/4/23/96659.html