日本明慧
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内に向かって探す:忍び難きは忍びうる


文/大陸の大法弟子

(明慧日本)私は1998年に大法にめぐり会いました。その後、仕事と家事に追われてあまり学法と洪法活動に参加することができず、当時の私は修煉しているかいないか分からない状態でした。1999年に迫害が始まり、私は疑問の気持ちがありながら、学法と煉功を棚上げにしてしまい、たまに読みたくなったら本を取りだして少しだけ学びました。毎日忙しく仕事に没頭する中で、胃病が日に日に深刻になり十二指腸炎と医者に診断され、慢性胃炎の薬を処方されました。しかしこの薬は続けて飲まなければならず、しかも高価で私の家庭にとって負担になりました。この時、両親は私に法輪功を修煉した方がよいと忠告してくれました。そこで、私は再び修煉の道を歩むようになりました。慈悲なる師父は私のような精進しない弟子を見捨てることなく、再度、機会を与えてくださいました。そして絶えず私の体を浄化してくださり、私の胃病はよくなり、どんな物でも食べられるようになり、生水さえも大胆に飲むことができるようになりました。

  正法時期も最後の段階を迎えました。私は自営業で生計を立てていますが、その中で常人に真相を説明しています。私はある旧い同修と知り合い、今二人で一週間に一度学法するグループを作りました。この数年来、夫は私が真相説明をすることに反対しています。夫は「あなたが家でどう修煉しても構わないが、外に行って人に話してはいけない」と命令しました。私はそんなことはできないと答えました。結局、夫は言いがかりをつけ、どんな事にも機嫌が悪いのです。『転法輪』の中で師父は、「絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」と説かれており、私は執着心をなくさなければなりません。しかし、私はいつも我慢できず、夫と喧嘩してしまい、内に向かって探すことをしていません。明慧週刊も毎週読んでおり、同修の良い例がたくさんあるにもかかわらず、私はどうして、内に向かって探すことができず、トラブルが発生した時に闘争心が強まるのかと、間違った後は後悔しきりです。

 ある日、私が市場で販売をしていた時、いつも顔を合わせていても名前を知らない女性の同修が、私に自分の修煉体験を話してくれました。彼女は、夫婦2人の間にトラブルが発生した時、夫がどんなに殴っても罵っても、忍び通したと話しました。そして私に、トラブルがあったときは自分を反省してくださいと注意してくれました。彼女と交流してから、私はやっと自分の私心がどれほど強かったか分かりました。毎回、夫とのトラブルが発生した時に全く内に向って探さず、ひたすらこの良くない私心ばかりを覆い隠していました。この私心を意識し、私は内に向かって探し始めました。すると自分にはこのようなよくない心、たとえば嫉妬心、闘争心、顕示心、名利を求める心などがたくさんありました。そこで私はこれらの心を捨ててみようと思い、さらに夫と交流を始めました。話し始めたばかりなのに彼はどなりつけましたが、私はなにも言い返さないで我慢しました。

 ある日、出店にいたのですが、あまり買い物客もおらず、私は一日中学法する事ができました。家に帰ってご飯を食べた後、間もなく私は寝てしまいました。夜中に慈悲なる師父は私のために内臓から外へ体を浄化してくださいました。最初、私は全身寒気がして、その後、内臓から火が出たように熱く感じ、明け方に起きると下痢をし、それが3〜4回続きました。昼間も絶えず下痢をしましたが、便は黒い泡ばかりでした。このような状況の下で、私はこの体験を書き出しました。続けて書いていくうちに体は次第に良くなり、熱も下がって、頭もすっきりしました。

  私の不足について、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

  2008年9月16日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/9/6/185394.html