日本明慧
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同修の皆さん、卑屈になってはいけません


文/大陸大法弟子

(明慧日本)最近、同修と接触する中で、あることに気がつきました。同修の中には卑屈になっている人がいます。修煉においては不足が多く、人心も重くて、修煉の道はなかなか終わりはしません。将来、王としての資格がないと感じている修煉者もいます。確かに修煉の中で自分の足りない所を見直すことは向上のポイントになりますが、それでも卑屈になってはいけません。これには師父を信じ、法を信じる要素が入っているからです。師父は私たちを済度し、私も師父に済度されて円満成就します。私たちはかならず元の場所に戻り、自らの衆生を連れて師父が創造された新宇宙に同化するのです。

 私たちに自信があるのは、師父への信念があるからです。師父はこの宇宙大法を私たちに伝えられました。この大法は私たちを想像もできない高い次元へと導くことが出来ます。過去の宇宙では誰もこの法を伝えることが出来ませんでした。私たちの生命の源は高い次元から来たものであるからこそ、この栄誉を与えられ、世の中で法を実証し、衆生を救い、威徳を築くことが出来るのです。多くの高い次元の神々が、私たちを羨望しています。ですから、私たちは卑屈になり、落ち込んではいけないのです。

 私たちは常人社会の中で修煉しています。しかし、功能は閉じられています。身体もミクロから表面まで変っていますが、見た目では常人と違うところがありません。思想の境地の面から見ると、常人は一日に一潟千里に滑落していますが、私たちは日々昇華しています。私たちに足りないところはありますが、修煉して努力してさえいれば、きっと目標を達成し、師父が私たちを浄化して、円満成就させてくださいます。私たちは偉大な師父に護られてこの法を得ており、正法時期の大法弟子であることを誇りに思っています。

  同修の皆さんは、年をとり、教育の程度も低く、見た目では常人に負けているかも知れません。また法理をあまり悟ることが出来ず、三つのことも不足して、救った衆生も少ないかも知れません。こういう理由で卑屈になって、落ち込んでしまうこともあるでしょう。しかし、自らの使命と責任を忘れず、師父の要求に従ってやるべきことを最後まで堅持できれば、素晴らしいことだと思います。師父も大法弟子は素晴らしいとおっしゃいました。師父は私たちのために無数の苦労をされているのです。私たちは最後になればなるほど、師父と法への信念をさらに深くするべきです。

 実は、これは師父が説法の中ですべて話されたことなのです。私は同修の皆さんにこのことを忘れないよう、ただ注意しているだけです。もちろん、私たちは極端に走ってはいけません。それは独りよがりで傲慢なことでもあり、いかなる極端な行為も誤りであると言えるからなのです。

 2008年9月16日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/9/11/185629.html