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中国石油探査研究院技師・銭世光さんは迫害され死亡(写真)

(明慧日本)中国石油探査研究院を定年で退職した技師で甘粛省蘭州市の法輪功修煉者・銭世光さんは、中国共産党の警察により強制連行され、「蘭州市・法制育成訓練学校」で思想改造を強いられた挙句、2008年9月8日に迫害により死亡した。

生前の銭世光さん

 銭世光さんは何度も不法に拘留され、3回の労働教養を科されて危篤状態になったことも数回あったが、「真善忍」に対する正しい信念をもっていたため、家に戻ると身体は回復した。2005年5月27日、銭世光さんは再び連行され、家財を没収された。蘭州市公安局26処で残虐な拷問を受け、不法に「蘭州市・法制育成訓練学校」(以下キョウ家湾洗脳班と称する)に拘留された。そこの中共関係者は捕まえた法輪功修煉者を人質として、彼らの所属する職場や、また家族から月3000元の転向費用をゆすり取った。中共の警察は「転向の奨励金」を稼ぐため、残酷な迫害を行った。

 2005年9月から2006年1月まで、銭世光さんは暖房のない禁足室に4ヵ月間も不法に拘留され、9日間後ろ手にして手錠をかけられ、脱肛し、大小便を失禁した。左手は物が握れなくなった。2006年、洗脳班で不法に1年半の労働教養を科された。同年4月、中共の書記・祁瑞軍、王東は事務所で銭世光さんを殴り、祁瑞軍の運転手・賈仁録も参与した。2007年5月、斉瑞軍は再び銭さんを殴り、疲れると全潤、王東と交代して続けた。そのため、銭さんは口から出血し、全身が紫色になり、杖歩行になった。

 銭世光さん(65歳男性)は清華大学を卒業し、西北地質研究所の高級技師だった。自宅は、甘粛省蘭州市城関区燕児湾路中国石油探査研究院西北分院にある。法輪功を修煉し、常に善良な心を持ち、高い評判を得ていた。1999年7.20から江沢民集団による法輪功迫害が始まると、銭世光さんは桃樹坪麻薬中毒回復所に監禁された。銭さんは十数日の断食で抗議し、危篤になったため、警察は彼を自宅前に置き去りにした。銭さんはドアを叩いてやっと家へ入ったが、激やせし、水を飲むことさえできなかった。水を飲んでもすぐ吐き出すため、家族は皆あきらめかけていたが、数日後、銭さんは煉功と学法で徐々に回復した。

 2000年5月、銭さんは不法に1年半の労働教養を科され、甘粛省第一労働教養所と平安台労働教養所に監禁された。その間彼は断食で抗議し、28日間で60キロの体重は40キロ以下になり、大砂坪労働改造医院に送られて1カ月入院した。多臓器機能障害と診断されたが、労働教養所は銭さんのために治療費を支払わず、一時出所させ家族の元へ帰した。2001年12月、家に帰った銭さんは動ける限り、師父の説法と経文を勉強し、毎日煉功した。徐々に身体に肉がつきはじめたが、肉は黄色く、全身が浮腫み、ちょっと押すとくぼんでしまう。座禅で足をもう片方の上に置けば深く食い込んだ。数日後、全身の皮膚が破れ、バターのような体液が流れ出た。銭さんはそれでも学法と煉功を続け、1カ月後、見事に快癒した。

 2002年6月2日、銭さんは上京当日に逮捕され、不法に2年の労働教養を科され、北京の団河労働教養所で非人道的な虐待を受けた。労働教養所の受刑者は警官から指示され、銭さんの頭を便器の中に押し込んで水を飲ませ、髭や眉毛を抜き、暴行してトイレに投げ込んだ。冬期、銭さんを縛ってベッドの下に押し込み(ベッドは非常に低く、寝返りをうつことさえできない)、そこで排泄させ、さらに冷水をかけた。ときどき夜に乗じて、警官は受刑者をそそのかして銭さんを外に連れ出し、服を脱がせて冷水をかけ、さらに雪をかぶせた。警官と受刑者は銭さんの腰椎を殴って骨折させ、銭さんがまったく動けなくなったため、家族に一時出所の手続きを取らせた。

 2003年11月8日、銭さんは家に帰された。当時彼は動けないのでベッドで師父の経文を暗誦し、座れるようになってから煉功を始め、3カ月後に少し歩けるようになった。

 2005年5月、銭さんは家で学法、煉功をして徐々に回復したが、まだ立って歩くことはできなかった。同月27日午後、銭さんが住宅区を出たとたん、待ち伏せていた蘭州市警察に鍵を奪われ、その後、蘭州市公安局26処の8人(男性7人、女性1人、そのなかに董隊長がいた)が銭さんの自宅に入り、家財を没収し、ビデオで録画した。2台のパソコンや現金、衣類を奪い、2台の車いっぱいに積み込んだ。同夜7時ごろ、26処の警官は銭さんを「トラの椅子」で拷問し、銭さんと連絡を取っている他の修煉者を教えるよう迫った。銭さんは拒否したため、引き続き拷問を受け、夜9時、キョウ家湾・洗脳班に送られた。

 7、8月になって、警察は家族に銭さんの行方を教えた。2005年10月1日、家族は銭さんに食料と衣類(綿入れと綿靴を含む)を送ったが、銭さんの手元には届かなかった。そのため、2005年冬、銭さんは薄い服のまま過ごした。2006年10月以後、家族は銭さんと面会できなかった。2007年5月5日、家族が銭さんに会ったとき、彼は歩行困難になっていた。

 銭さんは洗脳班の廊下で「法輪大法は素晴らしい」という歌を歌ったため、2回監禁された。ある時は、一日中鉄のドアにかけられたため脱肛した。2005年冬、銭さんは禁足室に4カ月間監禁され、腕に傷を負った。2006年、キョウ家湾洗脳班で1年半の労働教養を科された。2007年9月、真相を書いたことを秦紅霞と楊継剛に発見され、祁瑞軍、王東に2度殴られて顔、背中、足が傷だらけになった。2007年11月、労働教養の期間が過ぎても、不法に拘留されていた。

 1999年7.20以来、銭さんは給料を一度も与えられなかった。中国石油探査研究院西北分院は、銭さんを迫害した洗脳班に月3000元も出していたという。

 2008年9月18日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/9/17/185994.html