日本明慧
■印刷版   

深く隠された嫉妬心を取り除く


文/中国大陸大法弟子

(明慧日本)修煉して以来、私はいつもある同修が精進していないのを見て、学法、煉功を堅持できていないとか、時間になっても発正念をしないとか、真相を伝えようとしないとか、私心が重い、各種の人心が多すぎる等と、とても焦っていました。人情に配慮して、指摘する勇気がなく、時にはまったく同修が受け入れる能力を考えないで、同修の不足を指摘しました。一部の同修は心性が高く、穏やかに笑って聞き、何ともありませんでしたが、一部の同修は一時的に心性を守りきれず、負けずに言い返し、結果として、とても大きな対立が現れました。

  ある同修は傲慢でもなく卑屈でもないのですが、耳を傾けることはなく、精進しませんでした。どんな反応があっても、結局は同じで、私が同修の不足を指摘しても、よい効果が得られず、いつも逆になってしまいました。時間が長くなると、同修に対して反感をもつようになりました。私はいつも内に探して、自分の語気とやさしい心が足りず、相手のために考えることができなかったのだと反省しました。たえず自分を変えて、さらに同修の不足を指摘しても、相変わらず良い効果がありませんでした。

  このような情況はとても長く続きました。私はあまりにも同修の不足に執着しすぎているのではないか? どうしていつも他人の欠点が見えるのか? 他人を修してあげているのか、それとも自分を修しているのか? そこで私はこの心を放下して、更に同修が精進しないことを見ても、自分に対して執着してはいけない、師父が彼(彼女)を見守っておられるので、彼(彼女)はよく修めることができるのだと、結局言うべきことを言わなくなり、自分の責任を師父に押しつけ、ひたすら自分を修め、同修に存在する問題を見て見ぬふりをしました。

  しかしこの事は自分の心の中でいつも気になっていました。私の問題は一体どこにあるのでしょうか? これは直接自分の修煉の問題に関連しているため、私はまた内に向かって探し、よく考えてみなければなりません。私は自分に聞きました。同修の不足を指摘する時、私の心理状態は一体どうなっているのか? 私は毎日とても大変で、三つの事をしっかりと行ない、生計の道をはかるために、朝から晩まで苦労しているのに、ある人はそのように苦労をする必要はなく、早く起きず、夜遅く寝ることもありません。三つの事はやったりやらなかったりしています。

  私は、これは不公平ではないかと思いました。……そうです! このような心理状態のせいでした。更に以前会社に勤めていた時、同僚は遅刻や早退をして、仕事はあまりしないのに、給料を受け取り、賞与をもらいました。あの時は常人であり、感情を害したくなくて、誰も同僚の不足を指摘しませんでした。しかしある人はひそかに取りざたしており、心が穏やかではなかったのです。

  あなたはあまり修せず、あまり苦しみに耐えることなく、大法弟子になり、あまり精進しないのに、円満成就するのですか? 心の中でそれは不公平だと思いました。表面では同修のために、同修の不足を指摘して、同修に精進してもらいたいのですが、心の深い所には不公平だという嫉妬心が隠れていました。

  私はこんなにたくさんの代償を払っているのに、あなたが払う代償はあまりに少ない、あなたは円満成就して得道する資格があるのですか? 人間の一層の面では、他人が良くなることを見過ごせず、特に自分より良くできていない人が良くなることを見過ごす事ができませんでした。本質にこのような嫉妬する心があったのに、ただあまりに深く隠れていて、そのことに気づきませんでした。

  私はようやくこのとても深く隠れていた嫉妬心を探し当てました。このような執着心をもって言い出した言葉は純善でしょうか? 心から相手のために考えたことでしょうか? 対立を引き起こさないことがあるでしょうか? その効果は良いものになるでしょうか? もしこのような執着心がないならば、求めることなく、言い出す言葉は誠実で、清浄で、純善なものになり、いつも他人の不足を見ることもなくなります。

  私は心から師父がこのようなよくない心を探し出させてくださったことに感謝します。それを掘り出して取り除いたあと、私は内心のミクロの深い所で至福を感じ、身体の中に深く刺さっていた棘がとり出されたようでした。師父に合掌します! 私のために更に深いところから浄化してくださった偉大な師父にお礼を申し上げます!

  修煉の中のわずかな体得であり、よくないところがあれば、同修の慈悲のご叱正をお願いします。

  2008年9月18日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/9/15/185932.html