日本明慧
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問題を見る起点と角度

(明慧日本)法を正す時期の大法弟子として、今日出会ったすべての出来事は、今日のこの特殊な歴史における宇宙の正法と関係があると考えなければなりません。それがゆえに、私たち大法弟子が行ういかなることも、正法の起点から大法を実証し、衆生を救い済度する角度から問題を考えなければなりません。

 考えの中で、正法の起点から正しく考えることができず、法を実証し、衆生を救い済度する角度から私たちの出会ったことを見ることができないがゆえに、たくさんの同修は、法を実証し、衆生を救い済度することをたくさん行なってきましたが、個人の修煉において、大法の法理に対する認識について以前と大きな変化がないように思います。

 また、同修が法を実証し、衆生を救い済度する中で、この起点に立って衆生を救い済度することができなければ、この正法という起点から大法を実証し、衆生を救い済度する中で己を修めることができなければ、正法時期の修煉における大法の法理に対する、自分の考えにおける昇華後の実質的な変化を感じることは難しいのです。それがゆえに、消極的になってしまいます。これは、たくさんの同修が修煉において精進できない要因だと思われます。ここで、私がこの文章を書くとき、できればこの考え方を文字にして伝えようとしていますが、自分の考えの中のたくさんのものが、文章をもって表現することが難しいことに気づきました。

 しかし、私たちは自分が法を正す時期の大法弟子としていかなることを行うときでも、必ず法を正すことを起点にし、法を実証し、衆生を救い済度することに則って行なわなければなりません。

 2008年9月19日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/9/12/185661.html