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自分の正念を守ろう


文/大陸の大法弟子

(明慧日本)数日来、毎晩正時の統一発正念の直前に、眠気に襲われて、少し横たわって休んでから時間通りに起きようと思いますが、目が覚めたらすでに2、3時ごろになってしまい、とても悔しい思いをしました。どうして発正念まで頑張れないのでしょうか? 考えてみると、やはり正念が不足し、後天の安逸を求める心に左右され、さらに魔に隙に乗じられたわけです。

 人間が迷いの中で成り立たせた観念は、大体、常人の安逸、幸福と自己保護を求めるもので、すべて私利に基づいたものです。「自然」は実際に存在していません。特に、正法時期の大法弟子に対して、旧勢力は歴史上すべてに緻密な按排をしており、大法弟子の一存一念をも虎視眈々とねらっています。旧勢力は修煉者の表面のよく修めていない部分を捉えて、それを拡大させ、後天の観念に導きます。ふだん私達が時間を割いて学法しなければ、厳格に法に従っていけず、当然、この後天の観念が真の自分の思惟だと思ってしまいます。宇宙の中には、ある道理があります。つまり人が自分で必要とするならば、他人がそれをあげても間違いではありません。だから、旧宇宙の要素は輪をかけてこれらの後天の観念を強化して、それによって修煉者を意思消沈の危険なところに陥らせるのです。

 私には、以前にもこれらの教訓があります。私は真相資料を作ってメールで送ることをしていたので、インターネットを利用する機会が比較的多く、たまにうっかり良くないウェブサイトにアクセスしたりしました。もし見たとしても気にしなければ、邪魔をされることもないわけですが、自分自身の後天の色欲の観念がとても強く、しばらくの間また学法も怠ったので、甚だしきに至っては、もうすでにたくさんの資料を作ったので、少し休んでも構わないという心理で、その見たくなる執着心を隠そうとしました、そのため旧勢力に隙に乗じられました

  しばらくの間、携帯電話にも時々スパムメールが届き、同僚も時々私の前で下品な言葉を話しました。自分はまた悪くないと思って相槌をうつ場合もあります。もし修煉の考えが強いならば、正念の場も強いはずで、その時に内に向かって探すべきです。「佛光が普く照らせば、礼儀は圓明になる」のではないでしょうか? 修煉者の純粋なエネルギー場はすべての正しくない状態を正すことができるし、周りの環境を変えるはずなので、どうしてこれらのよくない現象が現れるでしょうか? しかもこれからよくしようと思っても、妨害が大きいのです。あれらの旧宇宙の要素は、私が本を取り出した途端に眠気が湧いてくるようにさせました。数ページしか見ていないのに眠くなり、このような状態を突破しようと思っても毎回少し休んでからしようと思い、そのまま寝てしまいます。最初話した発正念時の状態も現れました。 

 どうすればいいでしょうか? 学法を強化するしかありません、堅固な正念を守るのです。私達の本来の生命と生存環境を生み出した法は、すべての正念の源です。私が心を静めて『転法輪』の「肉食問題について」を勉強した時に、師父の説法に「タバコを口にくわえて座っている佛や道士はどこにいますか? そんなものがありますか? 修煉者としてのあなたの目標は何ですか? それをやめるべきではないですか? ですから修煉したいならタバコをやめてくださいと言っているのです。それはあなたの身体に害を与えますし、一種の欲望でもありますので、修煉者に要求されるものとは相反するものです」とありました。

  私は自分の行為に恥じ入って、穴があったら入りたくなりました。大法弟子としての要求を忘れ、自分の歴史の重任を忘れて、後天の観念に左右されて気が動転してしまいました。私に対応した天体の中に、私の無責任な修煉により淘汰される衆生がどれだけいるでしょうか? 表面的な損失もまたどれだけあるでしょうか? 私はすべての経文を最初から最後まで一通り読んでから、正念がますます強くなり、思想の中のよくない考えがますます弱くなったことを感じました。同時に発正念をして思想の中の業力、観念と外来の妨害を一掃したあと、座禅をしたときに心が静かになりました。

  この事を通じて私は師父の『道法』の経文の中でいわれた「長きにわたって大法の中にいる衆生、特に弟子には心性を向上させる上で、ずっと法に対して異なる次元での誤解があります。 魔難が訪れるたびに、本性の一面から認識することができず、完全に人間の一面から理解しているため、魔はこの一点を利用して尽きることのない妨害と破壊を行なっていて、学習者は長期にわたり魔難の中に陥っています。 本当のところ、これは人間の一面の法に対する認識不足から起こったことで、人為的に皆さんの神としての一面を抑制して、つまり皆さんが修めてできあがったその部分を抑制して、神の一面が法を正すのを阻(はば)んでいるのです。 修めてまだできあがっていない一面が、どうして主思想を抑制して、すでに法を得た一面を抑制することができるものでしょうか? 人為的に魔を養ったことで、魔が法の隙につけ入っているのです。弟子として、魔難が訪れた時に、本当に平然として動じないか、異なる次元のあなたに対する異なった要求に符合するというところに心を置くことができれば、充分に関を乗り越えています。 それでも魔難が尽きることなく長引いていて、もし、心性か行動にその他の問題がないのであれば、きっと邪悪な魔が皆さんの放置していた隙につけ入っているに違いありません。修煉者は、なんといっても常人ではないわけですが、ならば、本性の一面から、なぜ、法を正さないのでしょうか?」が理解できました。

 正法時期の大法弟子として、高い次元の生命もすべて私達を試練していますので、トラブルがあったらぜひ内に向かって探し、自分自身に原因を探して、同時に試練を口実にして迫害を施した旧勢力の要素をしっかり駆除し、放っておいてはいけません。法に基づいた上で法を認識し、人の観念を使って見てはいけません。

 「観念は人間の意識の変化にしたがって変化しているので、人間の正念が主導的に作用せず、完全に人間の表面の意識の感受に頼り、真の念による認識ではなく、真に自分が意識をはっきりさせて考えていなければ、魂がなくなるのと同じようになります。人間の意識は後天的に人間の表面の皮で形成され、その表れは物事に対する潜在意識による反応だけです。意識は不安定で、随時に変わるものであり、外的条件の変化と社会形勢の変化にしたがって変化しています。完全にこれらのものに頼っていれば、主たる念はなく、しかも系統もなく、規範と正念と真の自分自身がなくなるのです」(『美術創作研究会での説法』)

  あなたはどうして意気消沈しましたか? どうして人に学んで法に従わなかったのですか? どうして情勢の流れについていくのですか? どうして厳しい迫害の中で動揺し、妥協したことがあったのですか? どうして心が浮き草のように、ややもすると動じるのですか? このすべては自分の正念をしっかりと守らなかったからです。後天の意識が自分の大脳を支配したのです。

  法をしっかりと勉強し、後天の観念を修めて無くし、正念を強めてしっかり守り、最後の正法の道を歩みましょう。

  2008年9月19日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/9/12/185739.html