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高蓉蓉さん虐殺から3年経過、家族は依然として監視されている(写真)

(明慧日本)2008年8月中旬、中共に迫害され死に至った遼寧省瀋陽市の法輪功修煉者・高蓉蓉さんの母親は、近隣の人に頼まれた家屋修理のために北京から瀋陽へ出かけた。修理を終えて北京に帰るため、汽車と長距離バスに乗ろうとしたが、オリンピックのための検査を通過することができず、瀋陽に足止めされ、北京へ戻れなくなった。

迫害されて亡くなった法輪功修煉者・高蓉蓉さん
迫害されて亡くなった法輪功修煉者・高蓉蓉さん

 オリンピック期間中、遼寧の法輪功修煉者、および陳情者関連の身分証明証番号は、中国共産党によりコンピュータに登録されていて、瀋陽の各駅で奇怪な情景が現れた。北京へのチケット購入の際、みな身分証明証を提示しなければならなかった。販売員は大声で「陳情者と法輪功にはチケットを販売しない!」と叫んでいた。たとえチケットを手にしても、乗車前に身分証明証を提示し、安全検査をパスしなければならない。検査の際、身分証明証や銀行カードをATMでチェックするのと同様に、コンピュータの上に置いてチェックする。もし検査の対象が法輪功修煉者、あるいは陳情者関連の人だった場合、コンピュータはすぐにその情報を示し、検査官が止める。高蓉蓉さんの母親はこうして止められ、北京へ戻れなくなってしまった。

 2005年6月16日、高蓉蓉さんが中共によって残酷に虐殺されてから一年余り、高さんの両親と姉は様々な部門に陳情に行ったが、終始回答は得られず、各部門は互いになすりあった。80歳近い父親はこのような悲惨な事実に耐えられず重病を患った。母親には重病の夫を看病する体力がなく、夫婦は仕方なく北京にいる娘の家に行き、ほとんど瀋陽には帰らなかった。瀋陽の派出所および610弁公室はこの状況を把握しているにもかかわらず、家族の名前と関連情報をコンピュータに登録し、高さん家族を監視していた。

 高蓉蓉さんは法輪功の「真・善・忍」を堅く信じたため、2004年5月7日、労働教養所の警官にスタンガンで電撃され、酷く顔面を傷つけられたため、広く国際社会の注目を浴びた。2004年10月5日、善良なる人々の救援の下、高蓉蓉さんは不法な監禁から逃れ、医院から脱出した。

 2005年3月、高蓉蓉さんは再び中共当局に強制連行された。高さんが亡くなる前、瀋陽市張士労働教養所、馬三家労働教養所から遼寧省司法庁、遼寧省労働教養局までの部門はすべて言動を統一し、家族に「あなたたちは安心してください。法律は罪を犯した犯人を厳しく懲罰します。あなたたちは再び来なくてよいのです。家に帰って待ってください。ただ上層で判決が下されていないだけで、今度は高蓉蓉さんにどんな事もおきません」と言った。結局2005年6月16日、高蓉蓉さんは中共によって虐殺された。わずか37歳という若さだった。

 中共は高蓉蓉さんの家族に対しても迫害の黒い手を伸ばし一族を巻き込んだ。迫害は子供にまで及び、姉の娘はすでにカナダ大使館から留学ビザをもらっていたにもかかわらず、中共のブラックリストに載せられたため出国できなくなった。

 高蓉蓉さんの家族が受けた迫害の詳細状況についてより詳しい情報の提供を求めている。さらに、中国で発生している法輪功修煉者、および家族に対する迫害に注目するよう、国際社会に呼びかける。

 2008年9月22日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/9/20/186230.html