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主役として主導権を握る

—ユーテルサット社の報道中断事件から悟ったこと


文/大陸の大法弟子

(明慧日本)フラッシングの襲撃事件が終わってから間もなく、ユーテルサット社による衛星放送中断事件が起きました。しかも、さらに深刻になっています。

 いかなることが起きても、私たちの修煉の要素がそこにあります。私たちは向上しなければなりません。大きい出来事はなおさらこの通りです。まるで、以前の4.25の時にように、私たち修煉者の心がどのように動くのか、人を握って放さないのか、それとも人と決裂するのか、それが非常に重要です。私たちは、師父がはっきり最後の説法をされてから初めて動くのではなく、必ず自分から積極的に動かなければならず、本当に責任を負わなければなりません。すべての機会はもはやこれ以上ないかもしれません。ですから、必ず機会を大切にし、向上し、衆生を大量に救わなければなりません。同修たちは皆さん共に、『精進要旨』にある「根を掘る」を読むことをおすすめします。以下は、私個人の感想です。

 まず、最近大きな出来事が相次いで起きたことについて、法を正す進展がさらに速くなったと感じています。私たち大法弟子に対する要求がさらに高くなりました。私たちは早く動かなければなりません。何事も徹底的にすばやくし、以前のようにゆったりとして、しっかり行なわないようではいけません。今日何が起きようと、法理において基本的にすべて悟れます。ただ、人心の一面を完璧に放下できないがために、人為的に法理に対する悟りおよび実際に行動する速さが妨害され、常人社会のなりゆきに応じて私たちの心も変わってきます。

 二点目は、中国大陸の大法弟子がまだ本当に動き出していないということです。ユーテルサット社による放送中断事件が起きてから、同修たちは皆、内に向けて探していました。これは以前と比べて進歩したことです。ただ、同時に自慢する喚起心が生じていないでしょうか? 今回よく悟ったから、と考えていませんか? 事件がまた波乱を呼びます。私たちはまだ法を正す進展における要求との間に、大きな差があります。私個人から言うと、明らかに依頼する心があり、師父が主導されている神韻芸術祭のように、師父が最後に法を正されることに依頼しています。大法弟子の主体は中国にあり、ユーテルサット社の生じた波乱は、私たち中国大陸の大法弟子がまだ本当に動き出していないこと、そして心の中で依頼し、内に向けて正念さえ発すればいい、という正しくない考えを示しています。具体的に行なう前に、まだ海外の同修を見ています。ここが間違っています。ユーテルサット社の放送中断は、中国大陸に対して中断したならば、法を正す主な戦場は中国大陸にあり、と同時に大法弟子の主体も中国にあるべきです。ですから、中国大陸の大法弟子がこの主役にならなかったことも放送中断の原因の一つかもしれません。必ずその心に触れ、必ず事件が起き、波乱が生じます。一方、常に海外が大陸を応援することが長くなると、海外の同修に依頼する心が生じてしまいます。実は私たちも、海外の同修を支援しなければなりません。何と言っても、大多数の同修は中国にいるからです。

 前回のユーテルサット社の契約破棄事件はあまり知らず、主に海外の同修がこれを解決しました。しかし今回は違います。私たちのためにやって来たかのように、海外の同修に何でも依頼したがる、師父に依頼したがる心に隙に乗じてやって来たかのようです。積極的に修めることをせず、すべて修煉を師父に押し付けてよいのでしょうか? このような心は必ず取り除かなければなりません。中国大陸の同修は共に頑張りましょう。ペンを握って、欧米社会の政府機構の役人に手紙を大量に書きましょう。海外のいろいろな組織、財団、議員に真相を伝えましょう。人間の考えを持たず、西洋社会がこの事件に注目し、正しい選択をすれば、救われる大きなチャンスではありませんか。

 三点目は、ユーテルサット社がなぜこれほど何度も繰り返して約束を破ってきたのでしょうか? 人類社会のそれらの経済を握っている大財団は、なぜこれほど利益の前で良知を裏切るのでしょうか。師父の説法から、私は次のように理解しました。今のお金持ちは当初、このお金をもって大法のためにこの世に生まれると約束したのですが、今はそれができず、かえって迫害を助長しました。これは、邪悪の要素があり、しかし私たちが主役として責任を尽くしていない部分もあります。もちろん、大財団に真相を伝えるのは、ずっと難しい課題でした。簡単に接触できるものではありません。しかし、法理において私たちははっきりと、すべての衆生が救われるかどうかという問題が、着実に自分と結びついていることを理解しています。ならば今はちょうど良い機会ではありませんか。ここまでやってくると、まず衆生を救わなければなりません。事件が起きたら、それは必ず良いことです。私たちは、また来たのか、という不平不満の心を抱くべきではなく、高いところに立って法に基づき、このチャンスを逃さず、自分を修め、衆生を救い済度しなければなりません。結果は同じです。重要なのは、私たちがその過程において精進し、主役として依頼せず、確実に自分自身を修めることです。

 ユーテルサット社事件を通して、欧米社会を中心とする西洋社会に、長い間にわたって存続し続けてきた問題を解決するチャンスにもなります。それは、普遍的価値観および目の前にある利益との矛盾です。常人社会には、いろいろな富豪が献金していました。彼らは本来ならば、私たちのマスコミに献金すべきです。それは彼らの願いでもあったのです。私たちは必ずこれを重視し、精進しなければなりません。決していかなる口実でも自分をゆるがせにしてはなりません。結果に執着せず、大規模にわたって真相を伝え、影響を広め、これらの人々にもう一度自分の位置を選択させる機会を与えるべきです。

 今日、私は『転法輪(巻ニ)』を学んでいたときに、佛を拝むという問題を読みました。自分の現状を思えば、常人と似たような心があります。常人は、利益と良知の前で選択していますが、私は現実利益と法の間で彷徨っています。時々、自分でも法を正す理は何なのかを知っていて、どのように行なうべきかを知っているのですが、どうしても目の前の利益を見て彷徨ってしまい、動きが優柔不断になり、利益に対する執着心が強く放下できず、何も捨て切れません。私がこれまで、修煉において良くできなかったことの影響もあり、家族はしょっちゅう外に出て佛を拝んでいました。また、私自身も町で占い師や出家者に、私には佛縁があると言われ、修煉とは関係のない話をしてきました。このことについて、法理において私ははっきりと分かっています。しかし、具体的事実を前に利益を放下できませんでした。家族は拝んでも私が拝まなければよい、家族が拝めば本当に良いことが起きるかもしれない、と自分自身を騙し続けてきました。これこそ言い訳です。そのため、大法と利益との間で、いつもすべきではないと分かっていながらも、間違った選択をしてしまいます。西洋社会における大財団と同じやり方と、何と似ていることでしょう。ですから、私もこのような利益の心を放下できなかったがゆえに、常人社会のこれらの状態を促しているのではありませんか。少なくとも、私たちの背負っている衆生は必ず影響を受けます。私は、他の同修にこのような心があるか分かりませんが、あれば皆さん探しましょう。向上しましょう。これは、てきぱき動けず、精進できず、全体を形成できない重要な原因の一つになるからです。

 また、中共邪党の恐怖を前にして、私は本当に恐れなかったのでしょうか。気持ちのよい生活を送っているときに、私は心が動じなかったのでしょうか。ためらい、さまよい、うっぷん、不満、消沈、これらはすべて常人が感じることです。つまり、情と私(し)そのものです。いつになれば人間から抜け出せるのでしょうか。これほど多くの縁のある人を前にしてなぜ真相を伝えず、突破できないのでしょうか。時間はもう多くはありません。もしまだ真相を伝える前に、まず利益から自分の安全などを重視するならば、修煉者の影もないのではありませんか。これらの心を抱いては、私がもしユーテルサット社の総裁であったら、彼らと同じようなことをしたかもしれません。

 すべてのすべては、やはり法に対して信じる度合いに由来します。

 常人、特に財団はなぜこのようにしてきたのでしょうか。私たちに何かを見せているのではありませんか。常人にとって、利益と道義の間に立って選択をする際、私たちが人間と大法の間で選択をするのと似ています。私たちに見える常人社会の中で起きた大きな現象をもって自分自身を探せば、自分たちにこれほど大きな人心があることに気づきます。もし、私たちは本当に人を放下し、正しく選択できれば、人類社会も大規模にわたってこのような正しくない状態は起きません。常人も積極的に正義と良知を選択することでしょう。私たちが主役であるため、人類は私たちに従って動きます。私たちの一念ですら人に影響を与え、自分の衆生に影響を与えてしまいます。

 ここまで来ると、北京の同修はますます正念を発する力を強めるべきです。全国の同修も北京に対して正念を発するべきです。邪悪の粒子を徹底的に一層する機会です。積極的に、主体となって邪悪を攻撃しましょう!

 今後、またいろいろな事が起きるかもしれません。第一念が最も大事です。どんなことに出合っても必ず人間に陥るべきではなく、第一念は、よし機会がまたやってきた、これを利用して自分を修め、人を救おう、という楽観的で積極的な心構えで楽しく修めましょう!

 正しくないところはご指摘をお願いします。

 2008年9月25日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/8/2/183230.html