日本明慧
■印刷版   

再び「神と人の一念」について


文/河北の大法弟子

(明慧日本)最近、同修はよく「人と神の一念」について話しており、私も同じ体験がありました。師父が法を伝えられて既に10数年になり、邪悪の迫害もすでに9年になります。大法弟子もいろいろな困難を乗り越えて、経験や教訓も十分になり、私たちは本当に神の力を出さなければなりません。重大な事やささいな事に関わらず、神の念で考えるならば結果は本当に違うのです。

 2004年くらいから、毎年8、9月になると、耳に黄色い膿ができました。常人はそれを「中耳炎」と呼んでいます。私は発正念と学法を強めて、内に向かって探し、1カ月も引きずったのちに治りました。翌年また同じ症状がでました。このような事が3年続きました。「私の家族は皆この症状があり、これは遺伝だ」と思っていました。私の母親も、姉もよく罹っていましたし、私が幼いとき学校の身体検査で、医者は私の耳から臭くて、堅い塊の耳糞を何回かに分けてたくさんほじくり出しました。私は薬も飲まず、注射もせず、師父と法を信じて、いつも治ったので、自分なりに結構いいと思っていました。 

 2007年の秋が来た時、ある日、私は急に自分が耳から膿がでるのを「待っていた」様に感じました。私はこれでやっと気づきました。「私は最も師父に苦労をかけた大法弟子で、自分がまだ師父の弟子だといえるでしょうか? 母や姉がこの持病を持っているからといって、私も持つべきなのでしょうか? 母や姉は常人ですが、私は修煉者です。真の修煉者は神になる道を歩んでいる人だから常人の病気にかかるわけがありません」と思った瞬間、突然、ある壁が崩れたのを感じました。あれ以来、私の耳は二度と「中耳炎」の症状が出なかったのです。

 また、修煉する前に、私は体質が弱くて、「生理痛」がひどかったのです。月の半分も生理痛に苦しんでいました。生理がくる1週間前から腰痛、背中の痛みがあり、下腹が膨らんで、生理が1週間も続くと、いつも頭がぼうっとして目がかすんでしまい、全身に力が入りませんでした。苦しさを和らげるために、私はいつも大量の黒砂糖の生姜汁を飲みました。修煉してから、少しよくなりましたが、やはり苦しく、いつも苦しくなると、学法も煉功もしなくなって、ベッドで寝ているだけでした。

 去年の秋に耳の事で悟ってから、生理痛の事も「20年あまりになる」と思いました。この念は正しいでしょうか? 真の修煉者には常人の病気がないのに、私にはなぜまだそれがあるのでしょうか? どこの神が腰痛などになるのかと悟り、その通りに実行しました。その月に生理が来た時、私は黒砂糖の生姜汁を飲みませんでした。心で「私は神だ」と思い、すべての症状を認めず、学法と煉功を堅持しました。その数日間、座禅するときにあまり入静出来ませんでしたが、我慢して座禅しました。翌月は更によくなって、4、5日で生理が終わりました。

 私は十数年修煉している古い修煉者なのに、こんな些細な事を、今になって悟るなんて、本当に恥ずかしいのですが書きました。同修たちに少しでも参考になるとよいと思います。

 2008年9月26日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/9/14/185862.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2008/9/21/100825.html