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法と師を信じることについて


文/大陸の大法弟子

(明慧日本)大法と師父を信じる過程は、すなわち人心を取り除く過程であり、妨害を排除し、正念を強める過程でもあります。師父のおっしゃっている説法を、あなたはどれほど信じていますか?

 私は法を得てからしばらくの間、修煉する前にどんなに頑張っても合格点が取れなかった試験で、簡単に合格のスコアを取ることができました。そのとき私は、これは大法の中で知恵が開かれた結果だと思いました。

 仕事の中でも、私は大法が修煉者に与えた知恵を体験できました。上司から任された仕事は、どれを取っても非常に良くできます。私は、すべての大法弟子がこのことについて実感できているはずだと思います。あるとき、私はある同僚に真相を伝えるとき、大法のすばらしさについて語ると、彼女は「あなたたち法輪功修煉者の子供は皆、勉強がよくできると聞いています。私の知っている法輪功修煉者の子供たちは皆、名門大学に入りました」と話しました。つまり、この同僚の身の回りの修煉者たちは、師父と大法をよく信じることができていると思います。

 しかし、一部の同修は、人間世界の名利と情に執着し、人間世界の快適な生活を追い求めたているため、子供も人間社会において出世させたいとばかり思っていました。それにより、子供は法を学ばなくなり、ひたすら常人の勉強に溶け込むようになりました。結果的に、子供たちはふだん勉強はよくできたとしても、入りたがっていた学校に合格することができなかったりしました。修煉者の道とは、師父が按配してくださった最もすばらしいものであり、大法弟子、もちろん大法小弟子も含めて、師父の要求されている三つのことをしっかり行い、自分をしっかり修めることができれば、最大限度において常人社会の状況に符合して修煉し、私たちは常人と同じようにするのではなく、小弟子であれば学校へ行くべきであり、学校の時間を使って常人の知識を勉強すれば十分で、その他の時間はできるだけ法を学んだり、三つのことを実行するようにすべきです。ひたすら、学校の成績および常人社会のものに執着すべきではありません。すべては大法のために開かれたのではありませんか。私たちには、もはや執着するものはありません。放下できないものもありません。つまり、これは師父と大法を信じていないから良くできないのではありませんか。

 2008年9月27日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/9/20/186182.html