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黒龍江省佳木斯市:冤罪を受けて死亡した曹秀霞さんの夫の痛切な訴え(写真)

(明慧日本)2008年8月31日、黒龍江省佳木斯(ジャムス)市の法輪功修煉者・曹秀霞さんは、中国共産党により、不法に何度も監禁されて迫害された後、「真・善・忍」に対する信念を堅持したまま、冤罪が晴れることなくこの世を去った。

法輪功修煉者・曹秀霞さん

 曹秀霞さんは2002年に不法に3年以上の労働教養を言い渡された。佳木斯市労働教養所では何度も拷問され、心身ともに極めて大きなダメージを受け、心臓病、胸痛、発熱のため、労働できなくなった。2007年12月6日午後3時ごろ、曹さんは他の2人の法輪功修煉者とともに郊外に位置する和平大隊に行き、真相資料を配っていたところ、当大隊の治安保護担当の李三にひどく殴られた。李三は曹さんの髪の毛を掴んで、路端の電柱にぶつけ、また拳で胸部を突然打ち、足で蹴った。曹さんは四豊郷派出所、佳木斯市郊外公安支局に強制連行された。

 法輪功修煉者・曹さんの夫は極度の苦痛の中で、世界の正義ある組織と良心と正義のある人々に手紙を書き、自分が受けた不当な扱いと希望を訴えた。

 世界の正義ある組織と良心と正義ある人々へ

 私は被害者の法輪功修煉者・曹秀霞の夫です。名前は曲風玉と申します。現在リストラされて、仕事を待っている状態です。私は1983年に曹秀霞に出会い、恋愛し、結婚しました。当時、妻は東方市政工程処に勤め、私は東通会社に勤めていました。収入は多くありませんでしたが、私はとても幸せでした。しかし数年後、妻は肺結核を患い、4年以上入院し、入院した後も体はずっと良くない状態でした。1998年に妻は法輪功を修煉し始め、退院しましたが、退院後、不思議に病気が治りました。私の印象では、妻は精神的にも肉体的にも活気にあふれ、性格も優しくなりました。私たち夫婦もさらに睦まじくなりました。法輪功を修煉して恩恵を受けた妻は、至る所で法輪功は素晴らしいと伝えました。私は法輪功を修煉していませんが、法輪功は言うまでもなく素晴らしいと知っており、妻をとても支持していました。当初は私だけでなく、全国の人々はみな法輪功は素晴らしいと言っていました。

 1999年7月22日、全国的に法輪功の取り締まりが開始し、法輪功を修煉しないようにとテレビで通告されました。このニュースを聞いたとき、我が家の家族全員が理解できませんでした。妻は一緒に煉功していた人たちと北京へ陳情に行くと言いました。私は危険であると分かっていました。共産党の勝手気ままに人を迫害する悪習と恐怖の手段を、中国人はみな体験していましたので、仕方ない場合を除き、みな敢えて立ち上がって話す勇気はありません。私は妻が理解できませんでした。妻は結局、共産党の警官に捕えられ、佳木斯市に送られ、15日間拘留すると通知がありました。しかも妻は、中国共産党にコントロールされている会社の指導者により、工場から除名されました。当時、私の受けた圧力はとても大きかったのです。妻の病気治療のため、栄養を十分に摂らせるため、我が家はとても困難な生活を送っていました。妻の病気は煉功してよくなり、状況が良くなり始めたばかりなのに、仕事がなくなっただけでなく、さらに監禁されました。これはこの共産党のために、これほど長い間無駄に仕事をしたことになります。家庭のすべてのことは私一人の身に降りかかり、私はこの家庭のことを配慮しながら、妻のことを気にかけていました。何回か留置場に行きましたが、家族との面会は禁止されていたので、会えませんでした。私は何度も向陽支局内保課に行きましたが、最後に5千元を支払えば、妻を釈放できると言われました。仕方ない状況下で、私は友人と親戚から5千元を借りて支払い、妻はやっと釈放されました。

 留置場から帰って来た時、妻は虐待されてまるで別人のようになっていました。体は痩せこけて骨と皮ばかりで、精神的、肉体的に深刻な打撃を受けていました。妻は私に次のような内容を伝えてくれました。留置場で7カ月間監禁されていた間、妻は非人道的な待遇を受けました。警官らは残酷な手段で妻を迫害し、スタンガンで電撃したり、手錠で暖房設備に固定したりしました。寒い冬に朝早くから外のコンクリートの床に座らされ、水も食事も与えられませんでした。一度座ると(これは肉体に対する一種の虐待手段)十数時間続きました。絶対に法輪功を修煉しないと言えば、やっと部屋に戻されます。しかし、とても多くの法輪功修煉者は修煉を放棄しませんでした。みな中国共産党に指図されている警官に迫害され、精神的に崩壊され、経済的に封鎖されました。

 しかし、江沢民政治集団は数々の野蛮な手段を用いても、妻・曹秀霞の法輪功に対する信念を叩き潰すことはできませんでした。2000年6月、妻は牡丹江に行き、法輪功を実証しようとしたところ、牡丹江の警官に捕えられ、拘留所に収容されました。40数日後にやっと帰ってきました。その後、また伊春市に行きました。2002年5月10日午前9時過ぎ、我が家のドアはこじ開けられました。4人の警官が入って来ましたが、有無を言わせず無理やり妻を連れて行きました。翌日、私は前進支局に行き、妻を釈放するよう要求しましたが、社会治安を破壊した罪で労働教養3年の処分を下したと言われました。

 労働教養所で、妻は毎日鶏の飼料を貯めていましたが、それもお腹いっぱいに食べられませんでした。また労働を強いられて、トイレには決まった時間にしか行けず、常に妻はスタンガンで電撃されていました。今回の迫害はさらにひどく、元気だった妻が虐待されて人間の様相がなくなりました。このことを通じて、私はさらに中国共産党の本質をはっきりと認識できました。言うこととやることはまったく異なり、デマで真相を知らない人を騙しています。労働教養3年と言われましたが、妻は自分の信念を放棄しなかったため、また期間を延長されました。こうして3年4カ月間迫害されてから、やっと釈放されました。

 妻の体は労働教養所でひどく傷つけられました。釈放後、多くの病気を患い、肺と心臓も迫害により侵されていました。しかし、妻は法輪功の修煉を続け、至る所で真相を知らない人に真相を説明し、法輪功は素晴らしい、法輪功は衆生をあまねく済度する法であり、悪を鎮め、正を支える大法であると伝えました。

 2007年12月初め、妻は2人の法輪功修煉者と共に和平大隊に行き、真相資料を配っていたところ、四豊郷派出所に強制連行されました。今回の迫害で、妻は精神的にひどい刺激を受け、常に怖がるようになりました。ちょっとしたことでも耐えられず、間もなくして妻の体は全く持ちこたえられず、2008年8月31日、冤罪が晴れないままこの世を去りました。

 私は中国共産党を恨んでいます。さらに江沢民集団が「真・善・忍」に従っている善い人、真相を話す人、私の良き妻を迫害して、死亡させたことを恨んでいます。睦まじい我が家庭がぶち壊されました。私は曹秀霞の家族として、その被害を受けており、このような非人道的な人権のない国で、一人の中国の一般庶民として、なすべき方法がありません。私は、世界にはまだ正義ある組織と良知ある人々に、私たちのための公正な発言を願っています。また私は蒼天と天上の神が中国共産党を厳重に処罰し、天が迫害されて亡くなった妻のために冤罪を晴らし、共産党と悪漢を一掃し、幾千幾万の妻のような法輪功修煉者が冥土で安らかに目を閉じられるよう祈るしかありません。被害者の家族として、私は人間性のない共産党が将来のある日に滅ぼされ、多数の迫害されている法輪功修煉者が自由を獲得し、私と同じ状況の家庭に一家団欒の日が必ず訪れることを信じています。

  2008年9月27日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/9/27/186659.html