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迫害終結に対する少しの認識


文/大陸の大法弟子

(明慧日本)旧勢力が按配した今回の邪悪な、破壊性のある迫害はすでに9年間続きました。師父の正法は旧勢力の按配を認めず、迫害の存在を認めません。ではなぜ迫害は続くのでしょうか? 私達大法弟子、自らが原因を探る必要があり、内へ向かって探すべきです。

 私は次のように理解しました。迫害を終わらせることは、大法弟子が正法の進展において要求されている基準に達し、各方面で成熟した基礎の上に成り立つべきだと思います。当然、この基準は師父が把握されています。大法弟子が三つのことを良く行い、自分の先史以前からの大きな願いを完成させ、大法弟子の修煉が円満の基準に到達しさえすれば、今回の邪悪な迫害は終わるのではないでしょうか?

 同修との交流や切磋琢磨の中で感じたことは、私達の地域では、まだ一部の大法弟子が三つのことを行うことに大きな不足が存在しており、とりわけ内へ向かって探すことと、自分を修めることの不足が非常に目立っています。

 一つ目は、ある同修は毎日法を学び、学法グループにも参加し、『転法輪』を読んでいますが、常人と接するとすぐに本を閉じ、自分を緩め、さらには自分が修煉者であることをすっかり忘れてしまいます。学法を任務として完成させ、学法グループに参加することを一種の形式として守っています。

 二つ目は、学法と自分の修煉とを結び付けないことです。私は次のように理解しました。学法は、法を用いて自分の修煉を指導するためのものですが、大法の本を読むだけで、実際は自分を修めておらず、それではいけません。私自身のことを説明すると、グループで学法し、集団で正念を発し、真相を伝え、脱党を勧め、三つのことを全部やっていますが、あるときは激しく行う事があります。しかし、形式や結果について、過程より重く見ています。とりわけ内へ向かって探す方面では、心性の修煉を十分に重視していません。心性の表れは、「7.20」以前の状態にも及びません。

 三つ目は、学法を着実にしていないため、師父の新経文を学び、新しい説法を学んでから、法の内包を悟れません。師父の毎回の新しい経文と新しい説法は、私達全体の修煉状態と正法の進展に対応しています。しかし、師父の新経文を学んだ後も相変わらずで、師父の新経文の内包を悟れず、正法の進展について行けなくなります。

 また発正念をするときの怠惰な現象が存在します。具体的には、手の形がくずれたり、居眠りをする、ぼんやりする、あれこれとでたらめな考えを巡らして静かになれず、念力が集中できないなどです。4回の発正念の時刻は任務として完成させますが、この状況下で発した正念は、他空間の邪悪の解体と、自分の空間場の整理の効果に対して大きなマイナスとなります。

 発正念は、師父が大法弟子に賦与してくださった神通です。私は、神通の大小や作用できるかできないかは、功力の大小で決まると思います。また功力の大小は、私達の心性の修煉と互いに助け合い、補い合うものだと思います。心性の高さは功の高さであり、これは絶対の真理です。もし師父が私達の神通の錠を完全にはずされても、神通を充実させる強大なエネルギーが無いので発揮できません。また、私達が真相を伝え世人を救い済度する面において不足があります。正法は今日まで来ましたが、自分にはとても重い恐怖心があり、これは真相を伝え、世人を救い済度するうえで最大の障害となってしまいます。

 私達の地域では、もう一つ突出した問題があり、法を実証すること全体に危害を及ぼす問題であり、法を実証することと項目の中でお互いがよく協調できません。私達それぞれの大法弟子がお互いに排斥し合い、四分五裂の状況下でもめ合い、大法全体に全く気を配らず、全体に円容しなければ、これは正に心性の問題であり、円満の基準に達することはできません。ですから私は、全体で協力し合い、お互いに円容し合うことが正法の求めることであり、正法時期の大法弟子の修煉の原則でもあると思います。さらに、このことは師父が要求されていることなのです。

 この種の現象を引き起こした主な原因は、問題に遭遇した時に内に向かって探すことをせず、自分を修めていないことです。いつも外へ向かって求め、他人の不足を指摘するが自分の執着は見えません。この種の現象そのものは大法修煉の原則であり、人心をまっすぐに指し、内へ向けて探し、自分を修めるという原則に背きます。内へ向けて探すことを重視せず、自分を修めることを重視しなければ、長期間にわたって法を実証する面においてお互いに協力できません。さらには心性を守れず、修煉者として言うべきではない言葉を発し、修煉者としてすべきではない事をし、当地で法を実証することに損失をもたらしてしまいました。

 師父が法を伝え始められたとき、この法門の特徴は早く修煉できると話されました。まさしく修煉の根本をつかんでいで、人心を真っ直ぐに指す法理です。師父は、私達のためにどれほど耐えられ、どれほどのことをなさり、どれほどの法を語られたことでしょうか。それなのに、まだ私たちはそれらの執着を放下できません。師父に対して申し訳ないと思っています。

 同修たちよ、師父が私達に要求された修めるべき部分をしっかりと修め、心性を向上させ、次元を向上さ、境地が昇華したならば、発正念をすることも、真相を伝えることも、人を救うことも自然によく実行できるでしょう。そうすることで、今回の迫害ももうすぐ終わるのではないでしょうか?

 個人の心性に限りがあり、同修の参考になればと思います。

 2008年9月28日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/9/22/186320.html