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重慶市:冤罪7年、亢宏さんは再び不法な労働教養処分に

(明慧日本)中国重慶市銅梁県の法輪功修煉者・亢宏さんは、今までに、不法な2年の労働教養を2回、3年の労働教養を1回科されたことがある。2008年8月23日、再び連行され、重慶市西山坪の労働教養所で迫害されている。現在、亢宏さんは両足にギプスを付け、自分で身の回りのこともできない状況である。

 法輪功修煉者・亢宏さん(40歳男性)は、90年代に重慶医学大学を優秀な成績で卒業し、重慶衛生保険所に配属された。1993年に法輪功を修煉し始め、心身ともに恩恵を受けた。亢宏さんの父親は銅梁県農業機械局の局長で、多くの病気を患っており、1997年に重慶の病院へ行くため、亢宏さんを訪ねて来た。当時歩くことさえ辛く感じていたが、亢宏さんの家に置いてある『轉法輪』を読み、その後、身体の調子が良くなり、歩けようになった。修煉後、父親はすべての病気が治り、勤務先は年に数千元の医療費を節約することができた。銅梁県の老人体育協会は彼の体の変化を見て、各地に法輪功を広め、功法を教えるよう站長を担当させた。

 1999年7.20、中国共産党が法輪功を迫害し始めて以降、亢宏さんは勤務先で不法に連行され、重慶市西山坪労働教養所で2年の労働教養を科された。それと同時に、父親は銅梁県公安局に度々日常生活を侵害され、脅迫されて、重圧に耐えられず持病が再発し、2000年に他界した。

 2001年1月11日、亢宏さんは労働教養所から釈放されたものの、1カ月も経たない内にまた不法に連行、監禁され、3年の労働教養を科された。重慶市永川刑務所へ送られ、迫害され、同時に仕事を解雇された。3年間に亘って迫害された後、地元と勤務先の共産党員は亢宏さんに住民登録をさせないため、再就職できず、貧しい生活を送っていた。

 2005年、亢宏さんは不法に連行され、これで3度目である。重慶市西山坪労働教養所で2年の労働教養を科された。連行時、警察は亢宏さんが所持していた1600元を奪い、後に警察は1千元しか返さなかった。2007年12日、釈放されたが、その時はもうすでに痴呆状態となり、話すことすらできなくなっていた。

 2008年8月23日、亢宏さんは牛角沱(ニュジャオトウ)で借りた部屋で再び警官に殴られ、連行された。9月12日、再度西山坪労働教養所に連行された。途中、亢宏さんは抵抗し、車から飛び降り、両足を複雑骨折した。教養所の処置は、ただ亢宏さんを教養所の病院に入れるだけで、大きい病院に転送、治療させることはなかった。

 親戚が亢宏さんを見舞った際に、亢宏さんは人に背負われて出て来たが、両足はもうすでにひどく腫れて、黒くなっていた。親戚は厳しく非難し、教養所はようやく9月末に北碚九院に転院させ手術を受けさせた。亢宏さんは入院中、片方の手は点滴を受け、もう一方の手は手錠でベッドに固定され、さらに手錠の上に2重に鎖まで巻きつけられているのに、警官は朝から晩まで6人が順番で監視していた。

 警察は亢宏さんの部屋から身分証明書や、パソコン、貯金通帳などを奪って行った。通帳には2千元以上の貯金があり、親戚が奪った警官を探し出し、問い詰めたが、警官はただ身分証明書しか取っていないと認めなかった。現在、亢宏さんは両足にギプスを付け、自分で身の回りのこともできない状況である。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

  2008年10月27日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/10/18/187978.html