日本明慧
■印刷版   

衆生を思い、正しく修煉の道を歩む


文/大陸の大法弟子 天清

(明慧日本)常人の社会で、私は結構良い仕事に就いていて、収入も結構あります。そのため、多くの人に羨ましがられているのですが、その理由を知っている同修は少数です。

 近年、私が事業を始めたばかりの時、収入が少なくて生活も苦しかったのです。ちょうどその頃、大法の資料センターを作ろうという話が出ていました。しかし、それは私をはじめ、同修達にとってもかなり困難なことでした。しかし、資料センターは少なくて、資料の供給も需要に応じきれない程でした。同修たちの圧力を減らすために、また明慧ネットで「資料センターをいたる所で華々しく発展させる」という呼びかけもあって、私は自分の限りある貯金の一部を出して設備などを買いました。

 自我を放下して、衆生を常に思えば、何でも変える事ができるのです。周りの人には私の徳が大きくて、運命の中に財がついているとよく言われましたが、それが根本的な原因ではありません。法を得る前の私は生活も困窮していて、収入が少なかったのです。現在ある全ては、師父と大法から得たものです。衆生を救い済度するために資料に使った資金は、私たちの功と同じように失うことがなく、使った分は自動的に補われ戻ってきます。

 貧しいことは大法弟子があるべき状態ではなく、その状態は旧勢力の迫害でもなく、原因は自分の修煉する道を正しく歩んでいないことです。常に自分の債務や収入の多さ少なさに執着している同修がいます。その執着心は花崗岩のように硬く、常人の殻から一歩あゆみ出て来ることができません。しかし、神のように世間でただ衆生を救い済度する事ができなければ、その生活は誰も変えることができません。

 宇宙の最も神聖な使命、「衆生を救い済度すること」を、大法弟子はこの世間で負っているのです。生活さえも危機な状態になっていては、どうやってこの使命を執行するのでしょうか? これは妨害と迫害ではないでしょうか?

 「明慧週刊」のある文章で次のように書いてありました。二人の同修は資料センターを作ったのですが、彼女ら二人の生活条件は良くありません。しかし、他の同修からのお金の援助を断り、食費を切り詰めて節約した金で資料を作っていました。どうして同修の援助を断ったのでしょうか? 彼らも衆生を救い済度しようとしているのです。大法を実証しています。大法の道を歩んでいます。彼らにも金色の輝く心を持っています。資料センターの同修よ、同修からの善意をどうして拒むのでしょうか? 私達は大法を実証しているのでしょうか? それとも自分を実証しているのでしょうか? 苦しい環境の中で資料を作って大法を実証しているのですが、この「苦しい環境」は自分で作った原因ではないでしょうか?

 資料センターを作る時、資金をきちんと把握していなければなりません。同修からの援助を断る必要はありません。但し、同修からお金を要請することはしてはいけません。帳簿をしっかり書いて、合理的に使うことは分の過ぎる事ではありません。逆に、誰の援助も受けずに、設備が故障しても、修理する資金がなく、待つ事で時間を費やし、資料を作成するのが遅れて、衆生を救い済度することにまで影響を及ぼすのは良くありません。大法をすべての事を判断する基準にし、もっと衆生を救い済度することを目的にすれば、私達の難題はどんな事でも簡単に解くことができます。

 他人にどう見られるか、どう思われるかを気にせずに、心を正しくもち、正々堂々と大法を実証する道を歩む事が大事です。

 個人の見解です。

 2008年10月29日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/10/25/188408.html