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気付かない人心を取り除くことにも注意する


文/大陸の大法弟子

(明慧日本)私達修煉者はたくさんの人心をなくさなければなりません。たとえば嫉妬心、歓喜心、恐怖心、怨恨心、利益の心、闘争心、色欲の心、自尊心、卑屈な心、顕示心、安逸心など。これらの観念は識別しやすく、放下しようと思えば、それをなくすことができます。

 しかし、長い歳月の中で、この迷い空間、特に中国共産党による数十年間の無神論の洗脳下で、悪党文化に浸食され、知らず知らずに一部の心が識別しにくくなりました。「多くの学習者は常人の中で修煉しているため、いろいろな心が捨てられず、そうした多くの心がすでに当然なものになっていて、本人も気づきません。」(『転法輪』)

 ある年寄りの同修がいつも「私はすでに80歳になった」と言いながら、体も老人の様子になっています。実は彼の頭の中にやはり「年を取るにつれて身体も次第に老化してしまう」という気づかない観念が存在しています。それから、彼はこの観念を取り除いてからというもの、また生き生きと歩き始め、顔もつやつやになりました。

 ある同修は、自分が刑務所の中で、師父に拡散性肺結核を見せかけていただき、邪悪は自分と会う度に恐れ、最後に自分は正念をもって出ることができたと話しました。しかし、彼はいつも繰り返し同修に、自分は肺結核に罹ったことがない、見せかけだと強調していました。彼がこのように思っただけで、咳が数ヶ月も続きました。それから、同修が彼に自分の観念を注意深く自省するべきと言ったとき、同修に肺結核と誤解されたくないという心配自体が人間の観念だとやっと分かりました。心性が高まってから、咳も自然に治りました。

 一部の同修は、自分が過去に罹った事のある病気は修煉後に治ったと思ったが、時々、異なった病状が現れると話していました。いつも病状が現れる時に、彼はまず「私が過去に罹ったのはまさにこのような病気だ」と思います。本当は、まさに彼の観念によって、病状が長引いたのです。

 また過去、何度も邪悪に迫害された同修が刑務所から出てくることができた時に、「私はいつも刑務所に入ると発正念をすることができなくなり、今はもう刑務所から出てきたのに相変わらずです。すべて邪悪による迫害です」と言いました。それから同修と交流した時に、自分のこの「いつも」という観念は慣れた人間の観念であり、なくさなければならないものだと気づきました。それから発正念の時に正しい状態に入りやすくなりました。

 このような気付かない人間の観念はまだたくさんあります、特に、大陸出身の年をとった悪党文化の影響の大きい同修に割りに多いです。「無神論」、「人の意志は天に勝てる」、「物質は第一であり、精神は第二」などのへ理屈の邪説が経典と祭られているため、今なお依然として知らず知らずのうちに人を毒害しています。

 師父は『大ニューヨーク地区法会での説法と法の解説』の中で、「多くのことに対して、それが以前からの習慣であると言って、人間の観念に局限されてはいけません。今日大法弟子に賦与したのは神の状態であり、あなたは神の状態に向かっていくのです。」とおっしゃいました。

 今は正法の終わりにますます近づいており、これらの人心を絶対に探し出し、それをなくさなければなりません。同修たちよ、急ぎましょう。決して師父の慈悲深い済度を裏切ってはなりません!

 以上をもって同修と互いに励まし合いたいと思います。

 2008年10月30日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/10/19/188024.html