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遼寧省営口市:英語教師の車洪飛さん、迫害され重体(写真)

(明慧日本)遼寧省営口市の英語教師で法輪功修煉者・車洪飛さんは、鞍山刑務所及び大連刑務所で迫害されて危篤状態に陥り、2008年4月24日、両親の元に送り返された。車さんは全身の筋肉が衰え、長期にわたる灌食による胃出血で、骨と皮ばかりにやせこけ、歩くこともできない状態であった。




 車洪飛さん(37歳男性)は、営口市バ魚圏区紅旗郡出身。かつて営口市紅旗中学校の教師を務めていたが、その後、熊岳城高校に採用された。1997年より法輪功を修煉してから、心身ともに著しく変化し、飲酒やマージャンなどの良くない習慣が改まり、さらに何年も患っていた胃腸病も薬を服用することなく治癒した。英語教師として、ずっと大法の「真・善・忍」に従い、人柄、教育業績ともによい評価を得ていた。

 しかし、このように評判の良い教師であるにもかかわらず、5回も不法に連行、拘禁されたことにより、8回も職を失った。何度も紅旗郡派出所と熊岳公安局に連行され、労働教養処分となり、残酷に苦しめられた。第1回目は紅旗郡派出所に紅旗鎮中学校内で連行され、蓋州市留置場で15日間拘禁された。その後、営口労働教養所に移され、5カ月後、肺結核の症状が出てやっと釈放された。

 紅旗鎮中学校と熊岳城高校は車さんを解雇したため、車さんは熊岳の町に家を借り、数人の生徒に英語を教えて生計を立てていた。生徒に大法が受けた迫害の真相を教えたが、中国共産党に洗脳された生徒によって熊岳城高校に告発された。高校の警備員は車さんの服を全部脱がせてめった打ちした後、熊岳城公安局へ送った。悪辣な警官らは全身に水をかけ、トラの椅子に縛って迫害した。その後、車さんはバ魚圏留置場に拘禁され、13日間絶食し、釈放された。これは車さんの3回目の拘束時の状況である。

 2006年2月、車さんは瀋陽市於洪区のある私立高校で英語教師を務めていたとき告発され、瀋陽於洪区派出所に連行、不法に拘禁された。その後、バ魚圏留置場に移送され、不法に7年の刑罰を下された。大連刑務所に送られたが、健診で不合格となり断られたため、バ魚圏留置場に戻って引き続き拘禁された。

 身体がかなり衰弱し生命の危機に陥った車さんは家族に迎えられて家に戻った。しかし紅旗郡派出所は終日監視し、夜寝ている間も車さんの側にいた。

 車さんはしかたなく放浪生活となり、深センでアルバイトをした。そこで真相説明していた時、現地の公安局に拘束され、紅旗郡派出所にバ魚圏へ連行され、鞍山刑務所に拘禁された。車さんは7カ月間絶食して迫害に抗議した。その間、終日、車さんの片手に手錠をかけてそれを枕元に吊るし、排泄は受刑者に世話をさせた。肺結核が再発し肺に大きな影があったが、鞍山刑務所は釈放しなかった。

 2007年12月27日、車さんは危篤状態に陥り、鞍山刑務所から大連刑務所へ移された。当時車さんは横たわったまま動くことができず、会話どころか目を開ける力さえ無く、骨と皮ばかりに痩せこけていた。医師によると、全身の筋肉が衰え、心拍が乱れ、胃出血から深刻な貧血状態であるという。

 車さんの両親や妻の父親および妻は危篤状態の車さんが鞍山刑務所から大連刑務所に移されたことを知り、4回大連刑務所へ訪ねて行ったが、刑務所側は様々な口実で回避し、誤魔化した。2008年4月24日、車さんが家に返された時、すでに虫の息の状態となっていた。

 2008年10月31日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/10/21/188196.html