旧勢力の按排を破り、一思一念を法に置く
(明慧日本)今年の前半、資料点が破壊され、私は家に住めなくなり、親戚の家に住ませてもらうようになりました。ある同修が私のところに交流に来ました。同修は私に、「この家の向かい側に怪しい人がいます。あなたを監視しているかもしれません。その怪しい人がドアをたたいた後、大きな声であなたの夫の名前を叫びながらこの家に向かって走って来るのを、すでに4人も見たそうです」と話しました。またある他の同修が、「ここ数日、自分を尾行している人がいる」と言いました。さらに別の同修が、「警官は、労働教養所から釈放されたばかりのある同修に対して、故意に大きな声で、あなたのことを陰の責任者だと話していましたよ」と言いました。。また別の同修Cは、もう資料を配るのを止めたほうがいい、安全に注意するようにと言ってきました。私はすぐにそれらを否定しました。「私が修煉し始めてからずっと師父が守ってくださっています。私に漏れるところさえなければ、正念さえ足りれば、それら(他の空間にいる邪悪と卑しい鬼)は私を試練する資格はありません」と伝えました。同修は帰るとき、再び、安全に注意するようにと言いました。同修Cはすぐに大法の本と資料を隠しました。
同修が帰った後、私は内に向かって何か漏れたところがあったので、邪悪がそれを私を迫害する口実にしたのではないかと考えました。そして、たとえ何か漏れたところがあっても、それは私が修めるべきところであり、邪悪は私を迫害してはいけない、私は大法弟子だと思いました。今度の一世でここに生まれたのは、ここの衆生を救い済度するためであり、私は自分のやるべきことをきちんとやるだけだと悟りました。師父は『2005年サンフランシスコ市での説法』の中で、「もし大法弟子が皆正念を持ち、正しく行うことができ、いかなる情況下でも正念で物事を考え、すべての弟子が迫害の前で恐れる心が生じなければ、誰があなたを迫害し得るのでしょうか! 完全に法に則っている人を誰もが動かすことができません。これで自分を守る能力を備えたことになるのではありませんか?」とおっしゃいました。正念さえ足りれば、邪悪は本当に強い正念を持った大法弟子を迫害できません。邪悪は何ものでもなく、小指だけで殺せるものです。そして正念を発し、旧勢力の按排を否定しました。それで、もうこのことは気にかけませんでした。大法の本も隠しませんでした。次の日、私はもう一人の同修と一緒に資料を配りました。今も配っています。しかし、同修Cはあれから数日後に連行されてしまいました。
修煉の道において、師父が守ってくださっていますが、常人の観念で事を行なってはいけません。明慧ネットにある文章がありました。修煉者は高速道路を走っているようであり、一般道路を走ることより要求が高いと書かれていました。何か少しでも変わった様子がある時や敏感な日になると、すぐに本を隠すようではいけません。私たちは大法弟子です。最も神聖なことをしています。私達は必ず十分に正念を持たなければならず、心は必ず平穏でなければなりません。それができなければ、無意識のうちに邪悪による自分への迫害に従ってしまうことになるかもしれません。
以上は私の体得です。正しくないところがあれば、どうぞご指摘してください。
2008年11月21日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/10/18/187992.html)
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