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河北省秦皇島市:法輪功修煉者・韋丹権さんが迫害されて危篤状態に

(明慧日本)河北省秦皇島市山海関の法輪功修煉者・韋丹権さんは2008年5月、再び中国共産邪党の警官に強制連行された後、不法に4年の刑を言い渡された。韋さんは上訴後、裁判所は開廷もせず、韋さんを唐山冀東刑務所に連行した。度重なる迫害により、韋さんは体の状態が非常に悪く、心臓病、胸膜炎、肺結核などの病気に苦しんでおり、現在まですでに何回も血を吐き、甚だしい時には大量に血を吐いて、危篤状態に陥っている。

 韋丹権さんはもともと山海関空港の士官だった。法輪大法を修煉したことが理由で、停職処分となり、何回も迫害された。例えば、監視、家宅捜索、強制連行、拘留、拷問、労働教養、不法な判決などである。

 2004年4月30日、韋さんが角山で真相を伝えていた時、山海関公安支局の警官に強制連行された。当時6人が強制連行された。裁判所は10月に判決を下し、6人の中4人が執行猶予となり、1人が不法に3年の刑を言い渡されたが、現在すでに釈放されている。韋さんは当時肺結核で喀血しており、すでに起き上がれない状態であったため、裁判所は別件として処理した。

 4年以上が経過した2008年5月13日、山海関公安支局は再び裁判所に不法に提訴を申請した。2008年5月26日、逮捕令状が出され、2008年5月26日の朝8時、山海関公安支局は9人の警官を出動させ、韋さんの職場に行き、強制的に韋さんを連行し、不法に秦皇島市第一留置場に監禁した。

 後になって分かったことは、いわゆる2004年4月30日の角山事件は、ただ韋さん一人を別件として処理することだった。いわゆる角山事件の時、韋さんは供述もせず、サインもしていなかった。山海関公安支局の提示したいわゆる「証拠」とはすべて他人が話したことだった。

 2008年6月10日午前、山海関裁判所は秘かに開廷し、指定した弁護士に有罪弁護をさせた。韋さんは法廷で気絶して倒れた。6月23日、山海関裁判所は雨の中、韋さんに対して再び不法に「審判」を行った。羅列したでっち上げの罪名で4年の刑を言い渡した。7月2日、韋さんは秦皇島市中級裁判所に上訴した。同裁判所は開廷もせず、本来の判決を維持した。8月3日、韋さんは唐山冀東刑務所に連行されていった。

 不法に監禁されている間、韋さんは体が非常に衰弱し、頭を持ち上げることも困難になった。韋さんはかつて肺結核を患ったことがあり、何回も不法に労働教養された。労働教養期間中、一緒にいた受刑者らにも伝染した。山海関公安支局は「肺結核を患っている者は、労働教養させてはならない」という国の法律を無視し、裏取引をして韋さんを無理やり労働教養処分としていた。このことで、教養所側は公安支局に対して大変反感をもっていた。しかし公安支局はどうしても韋さんに刑を言い渡し、刑務所に入れさせようとした。刑を言い渡すことと労働教養には大きな区別がある。刑を言い渡された場合、体の状態が悪くても、釈放することができない。また家族は刑務所に監禁されている家族のために、病気治療の費用を負担しなければならない。

 7月28日から30日まで、韋さんが監禁されている間、妻も監視された。職場に来たり、帰宅時には居民委員会の幹部らに邪魔されたり、監視された。10月8日、妻は冀東刑務所に面会に行き、韋さんに着替えの衣服を渡そうとしたが、なかなか直ぐには許可して貰えず、やっとのことで本人に会うことができた。40歳以上の韋さんは顔色が青白く、やせて骨と皮ばかりになった姿で、面会用の椅子に座っていた。後ろには看守が立って監視していた。妻は電話を通じて、密封されたガラス越しに夫と会話した。会話の声は拡大されて、面会室外の廊下にいる人にさえはっきりと聞こえた。2008年10月27日、妻は再び刑務所に行き、韋さんに会って来たが、韋さんは体の状態がとても悪く、現在すでに喀血しているが、刑務所側は釈放しようとしない。妻はまた韋さんの面会に行こうとしている。

(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

2008年11月22日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/11/21/190135.html