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修煉の中で家庭との関係を正しく扱う(二)


文/河北省の大法弟子

(明慧日本)

 二.小姑との関係を修復

 私と姑、夫の間には溝がありました。二人の小姑までが中に入り込んでいたので、私は彼らにかなり不満がありました。師父は「もちろん、われわれは常人の中で修煉をしているので、親孝行をするのも、子供をしつけるのも当然です。どんな環境の中でも人には親切にしなければならず、まして自分の身内のものの場合はなおさらです。親だろうと子供だろうと誰に対しても同じように、何事につけてまず人のことを優先に考えるならば、それはもはや私心ではなく、慈悲心によるもので、慈悲そのものです。」(『転法輪』) 法を学んでから私は師父の要求通り彼女らに優しく接しようと決心しました。その後、私は自分の指輪二つを小姑二人に一つずつあげました。小姑二人はとても喜び、私が大法を学んで人が変わったと言ってくれました。

 小姑(夫の妹)は私の近くに住んでいます。彼女の性格は特別で、他人を寛容する事ができないばかりか、点火すれば爆発するタイプの人で、名利心も強く、特に自分が損をすることは決してしない人でした。夫は彼女をとても恐れて、いつも遠慮していました。彼女の要求は何でも聞いてあげ、我が家の物でも彼女がほしいと言ったら、夫はだめという一言も敢えて言えませんでした。それでも彼女は時折、家に来てはかんしゃくを起こすのでした。これらの出来事には私の心性を試す時もたくさんありました。特に利益に関わる問題です。大きいことでは冷蔵庫、テレビ、小さなことでは日常生活用品に至るまで、彼女らのために私は譲るしかありませんでした。夫が妹に何かをあげたいと言ったとき、私がだめと言えば大変な事になります。修煉を始めてからは、表面上ではこれらのことを気にしていないようでも、内心では利益に対する執着を完全に放棄したのではありません。特に、自分が気に入っていた物あるいは使っていた物が家から消え、夫の妹の家でそれを見つけた時は、本当に心中穏やかではありませんでした。利益に対する執着を削り落とす時の苦しみは、本当に骨身に滲みる苦痛でした。例を挙げると、我が家には火鍋用の鍋があり、小姑はそれを借りたまま壊れるまで返そうとしないのです。後に私は電磁コンロを買いましたが、まだ二回しか使っていないのに夫はそれを小姑に貸しました。私は口では何も言いませんでしたが、心の中は海がひっくり返ったようでした。彼女の家に行った時、そのコンロを見るとまた心の中が煮えくり返るのでした。何かを探していて見つからなかったときには真っ先に夫がまた妹にあげたのではないかと疑うようになりました。この心はとても汚いと意識しました。度重なる学法と修煉を通じて、この心は徐々に消えていきました。

 今はこれらにとらわれず、自分から彼女に関心をよせ、助けてあげたり、食事にもよく招待したり、おいしいものがあるときは必ず彼女にも持って行ったりしています。彼女が苦しんでいるときは慰めてあげ、問題を解決してあげます。普段彼女が怒っていようが、喜んでいようが、私は彼女の常人の心に左右されず、自分のやるべきことだけをやります。次第に私たちの関係は非常に上手くいくようになりました。彼女の短所を私は善意を持って指摘してあげますが、彼女もそれを受け入れるようになりました。彼女にはよく大法の不思議さ、すばらしさを話してあげました。彼女も一時大法を学びましたが、堅持できず放棄してしまいました。私が迫害で洗脳班に強制連行されたとき、彼女は同修と協力して洗脳班に釈放を求めに来てくれたこともありました。このことからも、私たちの個人修煉がいかに衆生済度と関わり深いかが分かると思います。

 三.姑との関係を修復

 修煉後、私は姑に対する不満を一気に放棄し、彼女を恨むこともなく、心から親切に対応しました。その中から、私は他人のためを思う真の喜びを覚えました。

 ある日、私は自転車に姑を乗せ、町の中の病院に行くことになりました。その日は食事もまだ取らず、おまけに生理まで来ていました。それでも私は何も言わず、姑を連れて出かけました。もちろんとても疲れましたが、心の中は嬉しかったのです。自我を忘れ、完全に他人のために生きる人は、実は本当に幸せで、苦痛など感じないということを初めて身をもって体験したのです。その心の中の嬉しさは、いかなるものを得たときとも比べ物にならないほどでした。この体験があり、私の心の容量は一気に大きくなったような気がしました。夫が実家にいくら物を送っても、もう私の心は動きません。彼の給料を誰にどう使おうが、私はもう気にしません。私を数年もの間苦しめてきた心を徹底的に放棄することができました。

 姑が亡くなる前、私は何度も彼女を家に連れてきて介護したことがありました。私は以前、彼女を「ケチ」と見くびっていましたが、今は完全に変わっているのです。実は私の心の容量が大きくなり、彼女を理解してあげることができ、彼女を包容できるようになったのです。姑も一生切り詰めて生きてきて、それも容易なことではなかったのです。それで私は姑のために、食べたいものすべてを買ってあげ、彼女の好きなものを冷蔵庫に保存し、おなかがすいたらすぐ出せるように用意しました。夜中も何度も起きて姑の様子を見るようにしていました。姑は感動して「娘ができないことまでも、息子の嫁がやってくれている。李先生のこの大法は本当にすばらしい!」と言いました。

 舅は亡くなる前に寝たきり状態でしたが、私は毎日「三つのこと」に支障がない状況下で、暇を作っては小姑を手伝って舅の介護をしました。嫁がこのように舅の介護をすると、近隣の住民はみな口をそろえて讃えると同時に、大法弟子はみな良い人であり、テレビで宣伝している殺人、焼身自殺は嘘であることという真相も分かるようになりました。私は自分の言動で周囲の親戚や友人に大法のすばらしさを実証しました。

 (続く)

 (明慧ネット第五回中国大陸大法弟子修煉体験交流会)

 2008年11月22日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/11/17/189678.html