■日本明慧 http://jp.minghui.org/2008/11/24/mh254971.html 



山東省:法輪功修煉者・張徳珍さんは薬物を使った迫害を受け死亡(写真)

(明慧日本)山東省の法輪功修煉者の張徳珍さん(女)は蒙陰県第六中学校(旧寨中学校)の生物担当の教員。2002年9月19日に再び蒙陰県公安当局刑事警察大隊に不法に逮捕され、不法に蒙陰県留置場に拘禁された。張さんは不法な行為に抗議し、断食で釈放を求めた。しかし、中共警察は釈放するばかりか、喉から食物を胃に至るまで強制的に注入した。2003年1月31日(旧暦大晦日)ある不明な薬物(毒薬)を注入されて即死した。わずか38歳の若さだった。

法輪功修煉者の張徳珍さん

 旧暦12月28日、張徳珍さん、張桂風さん、王相英さんと他の法輪功修煉者らは車に押し入れられ、蒙陰県中医病院に連行され監禁された。悪質な警察と県の中医医院の医師は結託して、医院に行く前にある不明な薬物を法輪功修煉者たちに注射した。当時、修煉者たちは一階の医務室に一緒に拘禁された。張徳珍さんは病院に着く前にすでに意識を失っていた。悪質な警察は全く人間性がなく、救急治療はせず、不明な薬物を強制的にまた注射した。不明な薬物を半分ほど注射されると体中から熱が出て、高熱の症状になり、口が乾いたりして全身に痛みが走り、両足から力が抜ける。この時、医師はわざと修煉者たちの両手の脇にお湯を入れた瓶を挟んだ。

 法輪功修煉者の王相英さんは医師の王春暁に質問した。「あなた達は我々にどんな薬を打ったのですか」医師から答えはなかった。すると、しばらくして留置場の孫克海所長が入って来て、王さんは同じ質問を孫克海に聞くと、同じく質問に答えなかった。だが、孫克海は得意になって「これで良かっただろう」と暴言を吐いた。王さんはまじめに、そして厳しい態度で孫克海に対して「あなた達は、早く張徳珍さんを釈放してください。お金が欲しいならいくらでも払います」と警告した。

 その時、悪らつな警官はわざと医務室にいる時間を伸ばして注射を続けた。張桂風さんは注射の針を抜いた。すると4、5人の警官が来て張桂風さんを押し倒し、強制的に不明な薬物を注射し続けた。張徳珍さんの具合がますます悪化してきた。その後、張桂風さんは暗記した大法を大声で読み上げた。みんなも一緒に読んだ。張徳珍さんの状況が少し良くなってきて、皆と一緒に大法を読み上げた。中共の関係者が入って来て、王相英さんの体温を測り始めた。

 翌日はお正月だった。警察と中共関係者は早く家に帰りたいようだった。その時、張徳珍さんにはまだ意識があった。一人の医師が張徳珍さんの体のある部位に小さな注射器で不明な薬物を少しだけ打った後、張徳珍さんは息を止めた。隣にいた警察は小さな声で、また一人解決した、と言って張徳珍さんを外へ運んだ。

 法輪功修煉者の張徳珍さんはこうして殺害された。張徳珍さんの家族に蒙陰県610弁公室から連絡があった。兄の張徳文さんと甥が直接610弁公室の指示したとおりに蒙陰県火葬場に駆けつけた。当時、張徳珍さんの遺体が固くなっていて、160cmの身長の張さんの遺体は非常に委縮して小さくなっていた。そのほか遺体は傷だらけで、痩せ果てて変形していた。張徳珍さんの職場の人間が衣類を持ってきてくれた。遺体が縮まっていて、服を着せることができなかったので、遺体の上に服を簡単にかけた。その時、蒙陰県610弁公室の人は、張徳文さんを脅迫して火葬書類にサインを強制した。張徳文さんは拒否した。すると、中共関係者はその場で暴力を振るった。張徳文さんは殴打されて帽子が地面に落ちていた。攻められた張徳文さんは涙を流しながら遺体火葬同意書にサインをしてしまった。張徳珍さんの遺体が火葬され、診断書に死因は心臓病と書かれていた。

 実はその二日前に、法輪功修煉者の劉淑芬さん(39歳女性)も蒙陰県留置場で四か月間虐待され、2003年1月29日に殺されていた。情報筋によると、張徳珍さんと劉淑芬さんは殺される数日前から一緒に殴打されていたという。劉淑芬さんの遺体も傷だらけで萎縮していた。殺された後、劉淑芬さんの家族は、蒙陰県610弁公室から4000元を渡されたという。その時、蒙陰県610弁公室の副主人の類延成はのさばって「4000元だけ払う。訴えたいなら訴えろ、ほら!」と大声で叫んだという。

 悪には悪の報いがあると言われるように、その後、この610弁公室の副主人の類延成は不明な病気にかかり、数回意識を失ったという。病院の診断書には、小脳の委縮と書かれていたという。

 2008年11月24日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/11/23/190365.html

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