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中士から真に修める弟子へ(一)


文/中国東北地区の大法弟子

(明慧日本)

 偉大なる師父、同修の皆さん

 こんにちは! 第五回中国大陸ネット法会がすでに始まりました。今まで何回も投稿しようと思いましたが、自分の修煉過程があまりにも平凡でとても書き立てることがないと思ったので、あきらめていました。数日前、ある夢を見ました。夢の中で、師父が答案用紙を渡してくださり、その内容は大法を広めることについての自分の行いと法理上の昇華についての自分の認識というものでしたが、私は答えられませんでした。目が覚めてから、それは修煉体験を書かせるようにと師父が啓示してくださったとは悟れず、ただこの二、三日に三つのことがよく行えなかったことを注意してくださったのだと思っていました。今日、グループで学法をしていた時、ある同修は、一人の同修が師父に答案用紙を提出するという夢を見たことから修煉体験を書かなければならないと悟ったという、明慧ネットに載った文章のことを話してくれました。私は目から鱗が落ちるようで、それは師父が私からの答案用紙を待っておられるのだと分かるようになりました。後で発正念をした時、なぜ自分の修煉過程に特に書きがいのあるものはないと思う原因も探し出すようになりました。つまり、それは深く潜んでいる、自己を証明する心を持っているからです。私は修煉の過程でずっと自分が師父と大法に押されて進んでいるように感じています。しかし、それはちょうど師父と大法の偉大さを実証できるのでは有りませんか。師父と大法のご指導がなければ、今日の私はただ常人社会での自分の利益の損得ばかりに気を使う一員かもしれません。それから、自分の修煉体験を書くことは大法を実証し、大法の偉大さを実証することであり、できないことはないと認識しました。

 一、中士が法を得る

 私は1996年に法を得たのです。この十数年の修煉過程でずっと師父が守ってくださり、私がよろよろ歩きの赤ちゃんから理性で成熟した大法の一粒子に成長するまで、師父は数え切れないほど多くの心血を注ぎ込んでくださったとつくづく感じています。私はもともと師父のおっしゃった「中士」に属しますから、もしこの十数年の間に、師父がちょっとでも手を離されれば、すでに私は修煉をやめていたかもしれません。

 私は幼いころからずっとお寺の生活に憧れていました。生活環境が良くないため、十歳過ぎから私はもう世間の闘争の中に身を流され、とても疲れを感じていました。大人になってから、生活に苦労して忙しく駆け回り、自分を守るためのいろいろな利己的な観念を身につけてしまいました。1996年8月、母に勧められて法を得たのですが、当時は他の同修のように宝物を得たような気持ちではありませんでした。というのは、私が大法を学び始めたのは母の好意を断るのがよくないと思ったからです。そのせいで、私は煉功してから随分時間が経ってからやっと大法の書籍を学ぶようになったのです。それなのに、師父は私を見捨てられず、いつも自信を付けさせるように、大法の不思議な法力を表してくださったのです。一回目に『転法輪』を読むには私は一ヶ月くらいかかりましたが、読んでからも、ただ良い人になるための道理を教えてくださった書籍に過ぎないと思っていたのです。

 法を得てから数ヵ月経って、私は自分の問題に気づくようになりました。というのは、大法を通読する時に、高次元の内涵は言うまでもなく、表面上の意味でさえもよく分からなかったのです。私は慌ててしまい、このままでは学んでも全然意味がないのではないかと思いました。そこで、『転法輪』を清書することにしました。途中で何回も諦めようと思いましたが、いずれも師父が励ましてくださったおかげて続けていったのです。清書を仕上げてから、自分と大法との間に隔てられた隔たりが消えたように感じました。そして、『転法輪』の中に書かれていた失と得の関係、業力の転化の過程も初めて分かるようになり、また師父は「あなたが何を考えているのか、他の空間にいるわたしの法身は何もかも知っています。二つの時空の概念が違っていて、他の空間から見ると、あなたの思惟が形成されるのは非常に緩やかな過程です。あなたが考える前に、法身は察知できるので、良くない考えはすべてよしたほうがいいのです。」とおっしゃいました。しかし、当時それは執着を捨てるべきだと師父が注意してくださっているとはまだ悟れなかったのです。

 少しして、私は長年の不平不満から解脱してきたように感じました。損をするのは実は良いことであり、「頭上(ずじょう)三尺(さんじゃく)に神あり」という言葉で示されたように、いくら深く隠しても意味がなく、修煉しようと思えば、自分の心を修め、それらの良くない観念を取り除かなければならないということも分かるようになりました。そして、師父にお会いしたことはありませんが、この法理を悟った瞬間、師父が自分のすぐそばにおられると分かりました。

 その時、法を得たはかりなので、まだ心性を守ることができず、よく母とトラブルが起きた時に心性の関を乗り越えられなくて、しまいには修煉を止めようとまで思ったのです。母は何度も勧めてくれましたが、私は全然聞こうとしないので、母は仕方なく諦めてしまいました。しかし、それからの数週間、私にあることが起きました。毎朝、私はいつも天地を揺るがすような煉功音楽で目が覚めていたのです。腹を立てた私は起きてみたら、なんとその煉功音楽は実は聞こえるか聞こえないくらいの大きさだったのです。そして、昼ごろに睡眠を補おうと思って昼寝をしたら、また大法を朗読する母の声に目を覚ましたのです。しかし、起きてみたら、朝と同じように、実はその声はとても小さかったのです。こんな状況を目の前にして、私ははっと気づいたのですが、知らず知らずのうちに私はもう大法を離せなくなったのです。このようにして、私は再び修めることを決めました。

 心性に対する試練はこんなものですが、この関をまだ乗り越えられないと思うと、次の関がもうやってきたのです。一度、母とトラブルが起きた後、この関をなかなか乗り越えられないから、修煉環境を変えていただけないかと心の中で師父に頼みました。私の当時の心性基準ではとてもその関を乗り越えられないと師父は思われたからか、私にやめさせないように、師父は環境を変えてくださいました。しばらくしてから、私は家を離れ、海外へ仕事に行くことになりました。もちろん私は母との関をまだ乗り越えておらず、ただ私が逃避しただけで、帰国してからまたその関を乗り越えるようにしなければなりません。それは後の話なのですが。その時から1999年に迫害が始まるまで、私はほとんど一人で修煉するという環境にいたのです。一人での修煉だと、他人との心性上の摩擦が少なくなりましたが、今度は安逸、惰性、孤独と戦わなければなりません。その期間、師父がそばにおられ、煉功と学法を怠らないように促してくださるのをつくづく感じました。大法の清書を通して、自分がどんどん向上するように感じ、またこれは生命を元の場所に回帰させてくれる天書で、もうこれから自分は大法と離れられないとはっきりと分かるようになりました。

 大法の清書が四回目に入った時、私は大法を暗誦することにしました。そこで、六ヶ月かかって、私は『転法輪』を一回暗誦しました。そして、ちょうど暗誦し終わったころ、邪悪な共産党の大法に対する弾圧が始まりました。1999年7.20以降、私はすぐ地元の同修と連絡が取れるようになりました。そして、地元の同修と一緒に大法を広めたり、地元の民衆に共産党が法輪功を迫害する真相を伝えたりするようにしました。

 今振り返って考えれば、私が心性の関を乗り越えられない時に環境を変えてくださり、そして、法を正す時期に入ると、私が落ちないように地元の同修と連絡を取るように段取りしてくださり、さらに、精進して確実に修める同修と付き合うように段取りしてくださったのです。師父は意気地のない私にどれだけ気を配ってくださったのでしょうか。師父のおかげで、私はとうとう中士から正真正銘の修煉者に変わりました。同修たちと付き合うようになってから、皆さんの表した誠意、熱心、善良、法に対する確固として揺るぎない信念などが皆私を震撼させました。同修たちの無私無我の表現は鏡のようで、私の長年身についた自己を守るいわゆる経験やずるい私心を暴きだしました。その時になって、なぜ私が入門し始めた時、師父が心性を高め、頭に浮かんでくる一つの考えや一つの閃きを修めることを気づかせるように啓示を与えてくださったのか、私は初めて分かりました。つまり、それらの良くない観念を徹底的に取り除かないと、私が真に修めることができないと師父はお分かりになっておられるからです。

 私は変わりました。「我関せず」から抜け出し、個人の損得にこだわらなくなり、他人のことを先に考え、他人を思いやるようになりました。毎日寝る前に、一日で起きたことを大法に照らして考え、自分の足りないところ、まだ大法の基準に達していないところを探すようにしました。すると、私は周りの友達、同僚や同修とますます仲良く付き合えるようになりました。ある日、私は法を学ぶ時に、次から次へと大法の新しい内包が目の前に現れ、私は嬉しくてならず、それは師父が励まして下さっておられるのだと分かりました。私に根気さえあれば、いくら根基、悟性が悪くても、大法に同化することができるのです。私は、自分がすでに返本帰真の路を歩いていると分かりました。

 (続く)

 (明慧ネット第五回大陸大法弟子修煉体験交流会)

 2008年11月25日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/11/6/188774.html