中士から真に修める弟子へ(ニ)
文/中国東北地区大法弟子
(明慧日本)
ニ、法を正す修煉
(一)表に出てきて、合格した弟子になるように
2001年11月、中国政府に真相を伝えようと思って、私は帰国し、北京へ陳情に行きました。ところが、共産邪党に不法に3年の労働教養を下され、労働教養所で残忍非道に迫害されました。2003年5月、師父のご加護の下に正念で労働教養所を抜け出し、故郷に戻りました。その当時、ちょうど邪悪の迫害がはびこった時期で、地元の大きな資料点が相次いで破壊され、資料点の同修たちも不法に強制連行され、重刑を下され、更に迫害されて死んでしまった同修もいました。資料点の仕事をやってみたらどうかと同修に2回も助言されましたが、いずれも自分の心性がまだ基準に達していないという口実で断りました。しかし、本当の理由は労働教養所で迫害された暗い影を消し去ることができず、恐れの心を持っていたため、もう危険に身を晒すようなことをしたくなかったのです。しかし、2回目に断ってから暫くして、我々の地区で資料を作る同修も強制連行されてしまいました。
その情報が耳に入った時、私は自分を責め咎める気持ちでいっぱいでした。私が私心を持っていたため同修をだめにしたのです。もし私が責任を逃れずに、同修の仕事の一部を分担していたら、同修も法を学ぶ時間ができて、邪悪に隙に付け入られることもなかったでしょう。私は自分に聞き返しました。「師父が地獄から救い上げてくださったのに、大法が魔難を蒙った時に、自分を守るため、同修に危険を押しつけるなんて、あなたはまだ修煉者と言えるだろうか?まだ師父の弟子と言えるのだろうか?」。それは実は資料を作りたいかどうかの問題ではなく、自分がまだ修めたいかどうかの問題であると認識するようになりました。そこで、私は協調役をする同修に「私は資料を作る」と言いました。
しかし、2年半労働教養所にいたため、私は修煉の形勢に付いていけず、どのようにして法を実証する道を正しくてしっかりと歩んでいけるか分かりませんでした。それから、なぜ資料点の同修は皆精進して確実に修めているのに、しまいには殆ど不法に強制連行されたのかと私はずっと戸惑っていました。そこで、私はよその地区へ行き、その地区で穏やかに歩んできた同修とそれらの疑問について交流することにしました。向こうへ行ってみたら、その地区はとっくに師父の教示された「あらゆるところに資料点がある」という道を歩んでいたと分かりました。私は自分の戸惑いを打ち明けたら、安全だし、資金も分散しているから、「あらゆるところに資料点がある」という道を歩むべきだとその地区の同修は助言してくれました。自分がこんな重責を負うとは全く思いもよらなかったのですが、それは師父が与えてくださったチャンスだ、よく掴まなければならないとすぐ悟りました。
師父が加持してくださったおかげで、マウスを全然使ったこともない私は1週間かけて、同修が2年間蓄積したコンピューターの技術を身につけ、それから地元に戻りました。戻ってきたら、地元の一番大きな資料点も破壊されてしまい、たくさんの同修が資料を手に入れられないと分かり、協調担当者と簡単に交流してから、私は資料点に入ることにしました。と同時に、私は新しい修煉環境に入ることになりました。
資料点に入ってから、資料を作る同修の難しさも分かるようになりました。巨大な仕事量、未熟な技術、よその空間での妨害などはさておき、部屋いっぱいに置かれた機械を見ただけで、或る程度の辛抱強さがなければ、耐えられないと思いました。幸いなことに、接触した同修はみな最もよいアドバイスをしてくれました。それは困難に遭った時、必ず真っ先に師父と大法を頭に置くこと、どんなことに遭っても、確実に己を修めることなのです。そこで、私は毎日先ず大法を学んでから、ほかのことをすることに決めました。大法が最も貴重である以上、1日の最もよい時間を大法の学習に使うべきだと私は悟ったからです。同修たちがよいアドバイスをしてくれたおかげで、危険をいずれも無事に乗り越え、資料点は穏やかに運営されていきました。
資料点の生活は実に苦しいのです。先ず安全のことを考慮して、私はなるべく出かけないようにしています。資料をもらえない同修が多いため、印刷量は増える一方でした。新米の私はこれらの状況に直面して、とても圧力を感じ、忍耐も限界になりそうでした。今振り返って考えれば、私はとても協調担当者の包容に感謝しています。資料点を運営した最初のころ、私は主に内部のことを担当し(資料を作ること)、彼女は主に外部のことを担当する(資料を送ること)というように私たちは約束していましたから、私のところへは彼女だけしか来なかったのです。或る時、彼女が『明慧週刊』を取りに来たとき、ちょうど機械が故障したため、資料が全然できておらず、私はいらいらして、気が狂いそうでした。もしその時彼女がちょっとでも責めたりたりしたら、私は資料点の仕事を辞めて、そのまま逃げてしまったかもしれません。しかし、彼女は「大丈夫! 急がないで」とやさしく慰めてくれました。その一言でわたしはすぐ落ち着き、機械の故障もすぐ直しました。このようなことはよくありました。全体を形成するには、すべての同修が皆自己を放下して、お互いに包容し合って初めてやり遂げられると私は悟ったのです。
(二)家庭資料点が至るところにあるようにする
資料点がだんだん安定し、自分の技術も成熟するにつれて、私は他の同修が家庭資料点を作るのを手伝うようにしました。その時から我々の地区も「あらゆるところに資料点がある」という新しい1ページを開くようになりました。
我々の同修は殆ど50〜60代の学習者で、学力が低く、中には字もろくに書けない人もいます。しかし、それらの年配の同修が地元で法を正す修煉の中で主導的な役割を果たしているのです。師父は「修は己にありて、功は師にあり」と言われましたので、皆さんに自信さえあれば、師父は必ず知恵を開いてくださるに違いないと私はそれらの同修たちを励ましました。
人に教えることと人から教わることは全く違うものです。人から教わるには、謙遜な心で教えを請えば良いのですが、人に教えるには、広大な慈悲心、根気と寛容な心を持って初めてうまくいくのです。コンピューターの使用方法を教える時に、操作の手順を一つひとつメモしてもらいましたが、同修達がいつも一つの手順を書くのに随分時間をかけてしまい、また字を間違えたりするので、私は苛立ってしまうのですが、こんな時にいつも師父のご説法が頭に浮かぶのです。「功を与える目的は、修煉させ向上させるためであり、良いことをすると同時に、自分の功能を開発し、功を伸ばさせるものですが、この道理を知らない人がいます。前にもお話ししたように、説法してあげるわけにはいかないのです。悟れればそれでいいのですが、悟りの問題なので、悟らなければ仕方がありません」(『転法輪』)それは心性を守り、容量を広げるチャンスだと師父が分からせるようにヒントを与えてくださるのだと私は思います。こんなことを何回か繰り返してから、私は一つの案を思いつきました。つまり、私はその使用方法を小冊子に編集して、学びたい同修に1冊渡し、同修が小冊子通りに操作すればよいのです。こんなやり方をしたら、時間も節約でき、メモを取らなくて済むので、とても効果がよかったのです。
私はコンピューターを学ぶ時に、同修たちは自分が身につけた技術を熱心にありったけ教えてくれ、自分が身につけるのに随分骨を折ったものですから、他の同修に回り道をしないように、技術を教える時に、常に「修めもその中にある」ということの重要性を重視してもらうようにしているのです。そして、ここ数年間の経験から見ると、修めることをわりと重視する同修なら、資料点も大体順調に運んでいますが、技術の向上だけを重く見る同修は、よく躓いたりしているということが分かりました。
それぞれの同修に教えるにあたっては、私も自分の不純な心を取り除くようにしています。しかし、うまくいかないこともあります。或る時、私は或る同修に教えましたが、その同修は以前私と一緒にもう1人の同修にコンピューターの技術を学んだことがありますが、後で教えてくれた同修は別の事情で教えることができなくなったので、その同修は仕方なく私に教えてもらうことになったのです。その同修はあなたも新米なのに本当にできるのかと、私に対して強い不信感を抱いているのをすぐ感じました。付き合っていくにつれて、法の学習を重んじないことがその同修が技術をなかなか身につけられない主な原因であると分かってきました。
例えば、彼女は発正念をする時に、いつも掌が倒れ、それから、何か問題が起こると、いつもそれは教えてくれなかったからだと言って私のせいにします。時には私も我慢できず、彼女のメモ用のノートを開いて、メモしたところを指差しながら、ここに書いてあるではないかと反論するのです。彼女に法を多く学ぶようにと助言しても、全然聞こうとしません。しまいにはパソコンを買ってあげたら、質がよくないと言われ、トナーを買ってあげたら、それは偽物ではないかと疑われるまでになったのです。私は何回ももう彼女との付き合いを止めてしまおうと思いましたが、まず我慢しました。
ある日、協調担当の同修が急いでやって来て、「たいへんだ、彼女のパソコンがショートしたから、早く見に行きなさい」と言いました。私たちは彼女と一緒にすぐその同修のところへ行って、パソコンをチェックしました。ところが、別にショートしたのではなく、光ディスクドライブを運行する時に音が大きいことからショートしたとその同修が勘違いしただけなのです。それが分かってから、師父の説法が絶えず頭に浮かんできました。それは心性を向上させるチャンスだと分かっているにも関わらす、私はやはり我慢できず、頭ごなしにその同修を叱り付け、取りあえず資料を作るのは止めておこうと彼女に向かって言ってしまいました。
その話が口から出たとたん、私はすぐ自分が間違ったと意識しました。そして、私の話にショックを受けて、呆然と立ち竦んでいる同修を見ると、私は悔しくてたまりませんでした。彼女の家を出て、師父の説法が頭に浮かんできました。「なぜなら常人を相手にする以上、さまざまな常人の心が妨害してくるからです。人の病気を治してやっても、本人はまったく理解しない場合もあります。病気の治療をする時、どれだけ悪いものを取り除き、どこまで治してやったのか、すぐにははっきりした変化が現われないこともあります。それで、その人は機嫌が悪く、感謝するどころか、騙されたと罵るかも知れません! こういうことに直面して、どう対処するか、といった環境の中で、人の心は磨かれていくのです。功を与える目的は、修煉させ向上させるためであり、良いことをすると同時に、自分の功能を開発し、功を伸ばさせるものですが、この道理を知らない人がいます」(『転法輪』)
私は内に向けて探してみましたが、自分に人に言われたくない心があることを見つけました。それも実は名誉を求める心なのです。実は私は幼いころから他の人に言われたくなかったのです。両親でさえもだめなのです。大人になってからも変わらず、誰かに言われると、いつも相手のことを恨んでしまうのです。本当のところ、師父は今度のことを通して私にこの心を取り除かせるように段取りしてくださったのですが、私はこのチャンスをうまく把握できず、かえって同修を厳しく叱ってしまったのです。そこで、私は人に言われたくない心をきれいに取り除くように決心しました。それ以降暫くの間、私はずっとこのようなことに出会いました。しかし、それは広大な寛容、慈悲心を修めるようにと師父が段取りしてくださったのだとよく分かったのです。
(つづく)
(明慧ネット第五回中国大陸大法弟子修煉体験交流会原稿)
2008年11月26日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/11/6/188774.html)
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