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中士から真に修める弟子へ(四)


文/中国東北地区大法弟子

(明慧日本)

 三、間隔を打ち破り、全体を形成する

 資料を作りだした最初のころ、邪悪の迫害がまだはびこり、それに捕まえられた同修が他の同修を裏切ることがしばしば現れたので、私はお互いの安全を守るために資料点と資料点の間は連絡しないようにしていました。その時、私の技術が未熟なため、分からない問題に遭ったら聞く相手もいないし、とても頼りなく思いました。後で或る同修から我々の地区にまた長年ずっと穏やかに運営している資料点があると教えられました。そこで、彼女たちはきっと技術に詳しい若い同修に違いない、もし連絡が取れればなんといいことだろうと思いました。つまり、外に向かって求める心を持っていたため、彼女たちと連絡が取れれば自分のすべての問題がそれにより解決できると望んだのです。暫く経って、ある協調担当の同修が向こうの同修とも連絡を取っていることが分かったので、一回でもいいから向こうの同修と会えるよう手配してほしいとその同修に頼んでみました。そうしたら、「会いたいからといって、必ず会ってくれると思いますか?」とその同修に言われ、私は絶句しました。そして後で落ち着いて内に向かって探すと、自分には外に向かって求める心があると分かり、それを取り除くようにしました。

 しかし、その後やはり向こうの同修と会うことを望んでいました。ある日、私がある常人の家でネット封鎖を突破する技術を学んでいるところへ、協調担当の同修は五十歳くらいの同修を連れてきました。その同修はちょうど私がずっと会いたかった向こうの資料点の主な協調担当者なのです。私はとても嬉しく、きっと師父が手配してくださったのだと思いました。しかし、彼女たちの状況を聞いて、私は非常にびっくりしてしまいました。つまり、その資料点の同修は私が想像したような若い同修ではなく、皆六、七十歳くらいのお年寄りで、目の前の五十歳くらいの同修はその中で一番若いのです。彼女たちが悟った法理はそれほど多くありませんが、ずっと師父や大法に対する固い信念を頼りにして歩んできました。そして、三つの事を行うことにおいては、全然若い同修に負けないのです。彼女たちが実は技術にそんなに詳しいのではないと分かると、私は感慨深かったのです。師父は私みたいな中士に対してなんと慈悲深いことでしょう。皆精進する同修に会うように手配してくださり、そして、法を実証する過程で何でも用意してくださるのです。もし私はよく修めるようにしなければ、師父と顔を合わせる面目がないのではありませんか。

 そして、私は自分の身につけた技術を全部彼女たちに教えました。また彼女たちの状況に応じて、例えば、システムに故障があった場合、簡単にリカバリーできるように、インストール済みのシステムをバックアップしたCDを作ってあげました。

 このようにして私たちは付き合うようになりました。しかし、間隔を打ち破り、全体を形成することはそれほど簡単ではありません。それはお互いに人心や自我を取り除いて初めて成し遂げられるのです。

 彼女たちは皆年配者なのに対し、私は若者です。中には私より三十以上も年上の同修もいます。普通なら、常人で言うギャップがあるはずです。しかし、我々はみな大法弟子で、皆師父の弟子です。だから、お互いに意思疎通できないことはありません。

 ある時、彼女たちの地区でちょっとした問題が起きたので、私たちは交流しました。私が「問題が起きたら、急いで資料を作るのではなくて、先ず法を学び、内に向かって探し、問題を見つけてから続けるべきだ」と言ったところ、彼女たちはかんかんになって怒り、酷い言葉で言い返しました。好意を持って助言したのにと思うと、最初私は悔しい思いをしました。しかし、後で師父のご教示:「わたしがいつも言っているように、他人のためだけを思い、しかも自己の目的と認識を少しも抱かなければ、このような人の言った話は聞く人に涙を流させることだろう。わたしは皆さんに大法を教えただけでなく、わたしのやり方をも皆さんのために残すのであるが、仕事の時の口調、善の心、それに加えて道理は人の心を変えることはできる、しかし、命令では永遠にできないのだ!」(《はっきりと目覚めよ》) を思い出しました。すると、同修を怒らせた以上、やはり自分にいけないところがあるに違いないと悟るようになりました。そこで、私は真心から彼女たちに謝りました。

 そうしたら、その協調担当の同修も自分の考えを正直に打ち明けました。つまり彼女は私の話をもう資料を作ってはいけないと勘違いしたのです。それから「実は先程私は「青二才のくせに、生意気を言うな」と思ったの、ごめんね」と謝ってくれました。そして、私が自分の考えをもう一回話したら、みんなは話の中身を理解するようになり、納得してくれました。後でこのことを振り返ってみれば、正に師父が教示されたように、「問題があったら、すぐにあなたが正しいのか、私が正しいのか、これはあなたの問題で、あれは彼の問題で、私は如何に行なったかと責め合い、見た目では問題を解決しているかのように見えますが、実はまったく違います。見た目では理性的に見えますが、実はちっとも理性的ではなく、一歩下がって、心を完全に放下して問題を考えていません。冷静に、穏やかにトラブルから抜け出して、トラブルを見れば、はじめて本当に解決することができます。」(《米国首都法会での説法》)このようなトラブルを後でまた何回か繰り返しましたが、いずれも内に向けて探すことにより、すぐ解決しました。このようにとうとう私たちの間に隔てられた間隔を打ち破り、我々の心が溶け合うようになりました。

 私は家族で一番年上なので、いつも兄や姉がいればいいなと思っていました。修煉してから、私はよく年上の同修を兄さん、姉さんと呼んでいます。だから、その七十歳あまりの年配の同修も姉さんと呼んでいます。去年、私は彼女の家を訪ねた時、「もう本当にあなたの姉になったのね」と言ってくれました。その話を聞いて、私はとても幸せに思いました。簡単な一言ですが、我々の信頼関係をよく裏付けられたと思いました。

 我々の地区で全体を形成するようになってから、法を実証することにおいて非常に大きな役割を果たすようになりました。迫害事件が起きると、その情報はすぐ全員に伝えられ、そして、同修達はよく協力し合うことによって、みごとに迫害された同修を救い出し、邪悪を震え上がらせ、同修達の自信を強めました、またこのことを通して、更に多くの衆生を救い済度することができるようになりました。

 (つづく)

 (明慧ネット第五回中国大陸大法弟子修煉体験交流会)

 2008年11月27日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/11/6/188774.html